強烈に不在する魂〜 ピナ・バウシュとアキコ・カンダの追悼公演から

2009年に世を去った振付家ピナ・バウシュ。その死から早く3年が経ち、6月30日、ピナの命日にピナ作品の映像上映とピナの舞台音楽を担当し晩年の彼女と親交のあった音楽家・三宅純を中心としたライブ演奏による「ピナ・バウシュ トリビュート」が行われた。会場は多くのピナ作品が上演された新宿文化センター大ホール。
前半、ピナみずから出演した『カフェ・ミュラー』の映像が上映された。ピナの踊る生の舞台も観ているし映像でも観たことがある。在りし日のピナの踊る姿を観て「ああ、もうピナはこの世にいないんだな」という痛切な思いにとらわれた。
後半のコンサートでは、「フルムーン」などの劇中使用楽曲だけでく今回のために三宅が書き下ろした曲も披露された。が、やはり強い印象を残したのが「フルムーン」の劇中曲であり、映画「PINA」の予告編にも使われた名曲「Lilies of the Valley」。それと映画のエンドロールに流れた「tHe heRe aNd afTer」を難病を抱えながらも精力的に活動を続けるアメリカ人女性歌手リサ・パピノー自らが来日して歌ってくれたのに心打たれた。三宅とコラボレーションを重ねているという、ブルガリア・コスミック・ヴォイセズ合唱団の天上的な歌声も忘れられない。追悼にふさわしいコンサートとなった。
この公演に先立つ4月上旬、E+(エンタテインメントプラス)の「E+CLASSIX」の依頼を受け三宅純にインタビューする機会に恵まれた(おかげさまで高評をいただいた)。
<特別追悼公演>ピナ・バウシュ トリビュート、国際的ミュージシャン・三宅純に公演への思いを聞いた!
http://classical.eplus2.jp/article/265799895.html
このなかで、三宅はピナの死に衝撃を受け当初は立ち直れなかったが、ピナの死後撮影され楽曲提供したヴィム・ヴェンダース監督「PINA/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」(2011年)に接しピナの死への受け止め方に変化が訪れたと語った。

死ぬということは消滅することではなく強烈に不在することだな、と。ピナは十分大きな存在だったけれども、亡くなったことで、さらに大きくなったと感じます。

“人は二度死ぬ”といわれる。肉体の死と人びとから忘れられたとき。肉親や敬愛する人、多大な影響を受けた人の死に接すると底なしの喪失感・無力感にとらわれるだろう。でも、日が経つにつれ、その存在の大きさに気づかされることもある。三宅の言葉に接しハッと胸を突かれると同時に「そうだ、そんなんだ」と腑に落ちるものがあった。
死してなお大きな存在として人びとの心から離れない。強烈に不在すること。ピナ作品が今後どのような形で保存・上演されていくのか予断を許さないが、少なくともピナの舞台に接した多くの人々の心のなかで大きな存在として生き続けることは確かだ。
ピナのトリビュート公演の数日前には、昨秋逝去した舞踊家アキコ・カンダの門下がカンパニーを引き継ぎ追悼公演を打った。これも忘れ難い舞台となった(6月28、29日 青山円形劇場)。冒頭で、遺作となった自作自演ソロ「生命(いのち)のこだま」で使われた背の長い木製の椅子が舞台中央に置かれ創作のモチーフとなった詩編がアナウンスされた。「ああ、もうアキコはいなくなったんだ、限りなく美しく純粋なダンスが、もう観られないんだ」という切なさ寂しさとともに、在りし日の彼女が踊る姿が目に浮かび心に蘇ってきて涙を禁じ得なかった。ここでも強烈な不在を感じずにはいられない。
死してなお宿る永遠の魂は確実に存在する、と思う。遺されたものは強烈な不在を受け止め、生き続け、踊り続けるしかない——。その思いをあらたにさせられた。

Lilies of the valley



Stolen from Strangers

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