2010年3月

3月は例年同様に異常な公演ラッシュだった。重なっていたり、都合がつかず足を運べなかったものも少なくない。主なものではアマーニ、トニー・リッツイ、木佐貫邦子、M-laboratry、輝く未来、「踊りに行くぜ!!」スペシャル公演などを見落としている。
今年の一大イベントのひとつといえるのがパリ・オペラ座バレエ団『シンデレラ』『ジゼル』の来日公演。後者に関しては媒体に求められて評を寄せたが、ダンサーの質、舞台の洗練度にかけてはさすがに極上といえるものだった。ニーナ・アナニシアヴィリが芸術監督を務めるグルジア国立バレエ『ジゼル』『ロミオとジュリエットヤン・リーピン『シャングリラ』などもそれなりに楽しむことができた。来日バレエが『ジゼル』を持ってくるのは珍しい。それも立て続けに。それに日本バレエ協会『ジゼル』は初演時の楽譜に基づくメアリー・スキーピング版だったが(なかなかの仕上がり)、パリ・オペラ座バレエ団、グルジア国立バレエ公演と同じ東京文化会館で上演された。各々の上演の質や演出の違いをより細かに比較してみることができ有益だった。
バレエ協会公演のほか、このところ勢いを増してきている東京小牧バレエ団『火の鳥』『ショパン賛歌“憂愁”』新国立劇場『ボリス・エイフマンのアンナ・カレーニナといったバレエ公演があり、それぞれ好評のようだ。とはいえ、個人的には見落としたものも少なくないとはいえ、コンテンポラリー・ダンスの公演に注目すべきものが多かったように思う。多様な取り組みで観客と対峙したり、場を共有することで対話を行っているアーティストの活動に共感させられる上演が続いたのは何よりだった。
下記にあげた以外でもいくつか。ダンスと演劇を行き来する岡田利規チェルフィッチュ『わたしたちは無傷な別人であるのか?』がまず印象に残る。演劇作品だが、テーマの切実さ、語り口のおもしろさ、身体性の新しさ、いずれとっても刺激に満ちていた。1990年代以降のダンスシーンを底から支えてきた実力派・能美健志&ダンステアトロ21『White Reflectionは、真摯に身体と向き合いつつ緻密な空間構成をみせ健在をアピール。深見章代率いる女性集団・高襟『東京サイケデリックは、露悪趣味でもなくクールさを装うでもなく「かわいい」とかいって媚びるでもなく、いい意味であっけらかんとして、ふてぶてしい。独自のエロチシズムを模索しつつあるようだ。
印象に残る公演3点

東野祥子solo dance『VACUUM ZONE』
アンサンブル・ゾネ『Fleeting Light つかの間の光』
TOKYO DANCE TODAY #5井手茂太『イデソロリサイタル [idesolo]』

東野祥子のソロ公演は、まずもってダンスの凄さで突出している。そのうえ、映像・美術・衣装・音楽らの諸ジャンルとのコラボレーションの緻密さと大胆さが際立つ。完成度も高い。ダークかつハイテンション、それでいて謎めいていて、観るものの想像力を激しく刺激する東野ワールドはハンパなく魅力的だ。アンサンブル・ゾネ新作は、中村恩恵の客演に興味津々だった。淡々とソロや群舞を連ねるゾネの舞台に、メンバーとは異なる身体性の中村が入りソロや群舞、岡とのデュオを踊ると、いい意味での異質な要素が混在する印象を受ける。その差異こそが、ゾネというカンパニーの生む世界の特質や孤高性と浮き彫りに。そして、岡・ゾネと中村が違った価値を持ちながらも互いを認め歩みながら踊る姿に、ダンスというものが打ち出し得るコミュニケーションの可能性を感じさせる。深く感銘を受けた。井手茂太のソロ・リサイタルは、あふれるユーモアや切なさで親密感を抱かせてくれる好編だった。ダンスの楽しさを伝え、さらにダンスという概念を軽々と超えたパフォーマンスで意表を突いた展開を繰り出す手際は職人技といえる。パイロットやラグビー選手、演歌歌手と早代わりする疾走感のある展開が楽しく、大御所の沢田祐二の照明もよくマッチした。例によっての小太りなのに異様にしなやかな井手ダンスもたっぷりと堪能させてくれる。すっかり心地よい気分にさせてもらえた。
印象に残るアーティスト3人

矢内原美邦(『あーなったら、こうならない。』の演出・振付)
酒井はな(東京小牧バレエ団『火の鳥』、日本バレエ協会公演『ジゼル』の演技)
折田克子(石井みどり追善公演の演技)

矢内原美邦は、振付・構成のみに徹し「ダンスとは何か」ということを、主題としても手法としても徹底して突き詰めた。生と死、人と人の関係性や距離といったモチーフを深く問うとともに、感情の発露をいかに身体を使って切実な表現として定着させるのかと真摯に探求する姿勢に共感した。酒井はなに関しては、近年、そのドラマティックな資質を活かす機会が少なく残念だった。が、今月は『火の鳥』『ジゼル』と性質は違うけれども、ともにドラマ性の強い役柄を踊る得がたい機会であった。それに酒井が出ることによって舞台の格が高まったように感じたのは私だけだろうか。どちらもゲスト出演だが(だからこそ)、主役を踊るに相応しいだけの存在感と説得力の十分なプリマとしてやはり貴重だ。折田克子は、故・石井みどりの息女であり、現代舞踊界の大御所だが、かつて音楽家カール・ストーンとのコラボレーションを行ったり、先日もアナ・ハルプリンに師事した川村浪子とのレアな共演も果たしている。かの黒沢美香が“100年に1人しかいないはず”の踊り手と敬愛する先達なのだ。石井みどり追善公演でも、決して押し出したり派手なことはしないのに、その怜悧な感性と空間にしっかりたたずむ地に足着いた存在感に圧倒された。極めて上等にして稀有な芸術家魂を備えた大家である。