維新派『台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき』&東野祥子『私はそそられる―Inside Woman』

野外での充実した舞台を続けてみた(「清里フィールドバレエ」については既報)。

ひとつは岡山県は瀬戸内海の犬島で行われた維新派公演『台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき』(7月24日観劇)。岡山駅からバスに乗り、新岡山港からフェリーで移動して島に向かう。2002年の維新派公演以来8年ぶりに訪れた犬島は懐かしかった。港や会場の銅精錬所跡地の周辺は多少整備されて小奇麗になっていたが、海、潮風、緑に包まれたロケーションは変わらず、すばらしい。近隣の島も含めてのアートフェスティバルなども盛んになってきているようだ。

さて、舞台である。今回は〈彼〉と旅をする20世紀三部作#3ということでシリーズの総括的意味合いがあるのだろう。南米、東欧を経て舞台はアジアとなる。昨秋、フェスティバル/トーキョーで上演された『ろじ式』のテーマや舞台意匠も組み込まれているようだ。日本が大東亜戦争で目指した帝国支配の果ての喪失感のようなものが浮かび上がる。8年前に犬島で上演された『カンカラ』や一昨年、琵琶湖湖畔の水上舞台で発表した『呼吸機械』のような近年の代表作に顕著であった大阪弁ラップやダンサブルなパフォーマンスは影をひそめ、近年の松本雄吉の作品としては物語性が強くメッセージを明確に打ち出しているのに誰しもが驚いたことだろう。三部作完結後、松本と維新派の劇世界はどこへ向かうのだろうか。

維新派恒例の屋台村も堪能した。土手煮、鳥焼きやタイ風ラーメンにビール、泡盛の水割り。充実したパフォーマンスの後は料理も酒も旨い。東京や関西の劇場でもよく顔を合わせる知人や評論家諸氏とも普段以上に楽しく会話を交せた。皆、基本的にプライベートなモードなのだ。深夜22:30に犬島から新岡山港へと船で帰ったが、松本さん含めた維新派のメンバーが、岸壁から離れていく船に向かって手を振って見送ってくれる。維新派を見るということは、単に舞台を鑑賞するというだけではない。特別な得難い「体験」である。維新派鑑賞歴はまだ10年ほどと浅いので偉そうなことは言えないが毎回そう強く思わされる。
維新派 - ishinha - 《彼》と旅をする20世紀三部作#3 プロモーション映像
ふたつ目は、世田谷美術館の企画による野外パフォーマンス「INSIDE/OUT 2010」として行われた東野祥子ロダンス『私はそそられる―Inside Woman』(7月31日 観劇)。会場は砧・世田谷美術館にあるくぬぎ広場。「そそられる」シチュエーションだ。
19:20頃であろうか、日没とともに始まったパフォーマンスは、大きなくぬぎの木のぐるりや映像の映し出される美術館の回廊を背に行われる。2008年1月に大阪で初演されたBABY-Qによるグループワーク『私はそそられる』(観に行った)をソロとして大幅に改定した実質新作といえるもの。東野一流の、アングラチックでダークな世界観に支配されてはいるが、ここではどことなく軽快な浮遊感のようなものも感じる。キョンシーみたいな振りで踊るところとかもあって楽しい。四角錐状の赤のテント小屋に何度か出ては入っては出てくるのも妙に面白い。欲望の象徴みたいなものらしい。欲望の館?カジワラトシオによるライブ演奏にアフタートークのゲストで呼ばれていたミュージシャン・作家の中原昌也が飛び入りで参加するというサプライズもあって楽しめた。
今年の東野は3月にソロ『VACUUM ZONE』を、7月頭にはカジワラとの共同作業『UNTITLED RITUALS NO.1 - NO.5』を発表している。前者では小ホールでオブジェ等の効果も含めて緻密に作りこんだ完成度の高い舞台を見せ、後者では、地下の小空間において音楽とのスリリングなセッションを見せていた。今回も野外とはいえ映像や音楽や美術へのこだわりは半端ではないが、前記の2作よりも野外の特性を活かして、のびやかに空間に息づいて踊っている。このところ東野の舞台に顕著な、ダンスを軸としながらも美的な構築力際立つ仕上がりとは趣を異にしている。何よりもダンサーとしてのイマジネーションが横溢し、場の魅力と溶けあいつつダンスによって状況を打開していくという、東野の踊り手としての無尽蔵といえる想像力の豊かさを実感できた。同時代に生きることを至福に思える刺激的で目が離せないアーティストである。
BABY-Q[私はそそられる]