ダンスカンパニーカレイドスコープ「Five Works」

二見一幸率いるダンスカンパニーカレイドスコープ は、ムーヴメントの追及と作品としての完成度を共存させる稀有なカンパニーである。二見振付の特長は、多彩な語彙が高密度に詰めこまれていること。そして、密度の濃い振りながら、観た印象は重くなく、淀みなく流れるような質感を持っていることだ。
無論、それは、高度な技術と柔軟な感性を備えた踊り手の存在なくして生み出されない。実際、外部への客演の機会も多い二見、そして、カンパニー創設以来歩みをともにする田保知里はじめ、技量と個性を兼ね備えた踊り手がメンバーに名を連ねている。
このたび、これまでカレイドスコープを支えてきたダンサー四人及び二見の振付作品を上演する新企画「Five Works」が行われた。いずれも“踊れる”ダンサーたちである。“踊れる人間だからこそ振り付けをやる”とは作家・舞踊評論家の乗越たかお氏の名言(「コンテンポラリー・ダンス徹底ガイド」(作品社)より)であるが、優れた踊り手が振付を手掛けることは今や当たり前。本公演は、そのことを高水準、理想の形で体現する舞台となったように思う
大竹千春振付『So extra breathing So』は、女性三人が出演。歩くことからフロアの動きまで語彙が多彩だ。ダンサー同士の触れそうで触れない微細な息遣いが伝わってくる。
佐々木紀子振付『詩のはじまり』は、六人の女性たちが、始原と終りを象徴するかのようなイメージを浮かび上がらせる。ダンサーたちが客席に背を向けゆっくりと消えていく、世界のたそがれを思わせるラストが美しい。
田保知里振付『Ichnos』は、田保、二見、松田辰彦のトリオ。踊れるダンサーが揃ったが、動きの軌跡よりも、肉体そのものの存在に焦点をあわせる。松田のある種異形ともいえる存在感が印象に残る。
中村真知子振付『breakthrough』は、自作自演のソロ。冒頭の影のダンスが面白い。恵まれた身体を持った彼女の踊りに引き込まれる。終幕も、紙の幕を突き破りフェイドアウトするというサプライズ。客席の反応も上々だった。
最後を飾ったのが、二見の『TINGLE』。タイトルは、“わくわく・ぞくぞくする気持ち、興奮状態”を意味するとのこと。黒のスーツをきた男女が横並びになり、肩を組みながら歩き出す。途中でひとりが脱落する。また、一から同じことを始める…。ゲーム的、コミカルな要素をおりまぜた舞台。シリアスな作品が続くなか、観るものの肩をほぐし、心地よく帰路につかせる。とはいえ、単に遊戯的だとか、インプロの延長ではなく、二見の緻密な計算が行き届いているのは疑いない。
カレイドスコープは、コンテンポラリー系と目されるが、現代舞踊の素養を持つダンサーが多い(コンクール等での受賞は枚挙にいとまがない)。それを活かした、かっちりと型を持ちながらも、柔軟な感性を持った二見の作風は、コンテンポラリー/モダンといった枠組みを越えてアピールする。他の四人の作品に関しては、小品ということもあり、一概には言えないけれども、二見の作品の影響が強いように見受けられるものもあった。しかし、それは全然悪いことではないし、一つひとつの動きの良さは紛れもない。今後も、今回のように、二見作品のみならず、ダンサーたちによる作品の上演を楽しみにしたい。
(2006年6月24日夜 吉祥寺シアター)