Noism『ZONE〜陽炎 稲妻 水の月』新潟公演

金森穣率いるNoism09の新作は新国立劇場との共同製作『ZONE〜陽炎 稲妻 水の月』(演出・振付:金森穣、空間:田根剛、照明:伊藤雅一、衣装:三原康裕)。公立施設専属ダンスカンパニーとして舞踊芸術の専門性にこだわり“専門家がその専門的活動の中で養う精神的領域”がモチーフのようです。そこには昨今のコンテンポラリー・ダンス ブームへの金森の疑念があり、プログラムには「専門性の復権」と題し“玄人と素人の線引きが存在しない日本の舞踊界において、コンテンポラリーダンスという曖昧な総称が外来した事は春の訪れであります”に始まる刺激的な文言が記されています。
■舞台内容に触れています。未見の方は以下読まれる際、ご注意ください■
全体は三部構成。一部は「academic」と題され、J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ」を用いています。ここではNoismメンバーの日々の修練の成果が問われます。女性5人、男性5人による群舞や金森と井関佐和子のデュオが息つく間もなく続きます。裸電球を舞台袖奥から手前まで左右に吊るした空間のなか踊られる、バレエベースにしつつ金森ならではの語彙を連ねたハードな動きに目が離せません。古典的、高度な修練を積んだうえで統制された表現を行うという金森の意図は明確です。
二部は「nomadic」と題されたもの。幕が開くと、舞台上からボールチェーンが吊るされています。エスニックな衣装をつけたダンサーたちがインドネシア民族音楽J.S.バッハ、さらには中島みゆきエルヴィス・プレスリー、エディト・ピアフなどによる多彩な曲にのせて踊ります。緻密な動きを突き詰めた一部とは対照的に、生を謳歌、原初の衝動に基づいて踊るかのような、いま、ここで立ち上がるいきいきとしたダンス。金森作品においてここまでダンサーたちの個性が活かされ、自在で躍動に富んだダンスはなかったのでは。カーテンコールでは熱狂的な拍手がわき起こりました。
三部は「psychic」と題され、一部における古典的なダンスの身体、二部における根源的・プリミティブなダンスとのあいだに位置づけられる精神的領域での身体が追求されます。照明は舞台上横からライトを当てたり舞台に置かれたスポットライトを用いたりといったもの。井関と宮河愛一郎、山田勇気、中野綾子という金森の下で踊ったキャリアの長い人、あるいは比較的バレエ軸に基礎鍛錬がよくできている精鋭が踊った感。4人は組んず解れつに絡んだり、ひとり舞台に佇みます。J.S.バッハの遺作「フーガの技法」が流れますが、ダンサーたちはi-podでヒッチコックの映画「サイコ」の音楽を聴いています。浮かび上がるのは、現代社会における人と人の孤絶や距離。いまを生きる身体を精神面から捉え、社会への問題提起を行っているようです。社会のなかでのダンスという問題意識を常に抱えているのも金森の懐の大きさ、深さといえます。
金森は代表作『NINA〜物質化する生け贄』『Nameless hands〜人形の家』では、物質化する身体を主題に大きな構造をもった、ある意味全幕バレエともいえる大作を発表してきました。本作に関して各パートに明確な関係はありません。ダンスする身体のあり様3つを通してフィジカルな興奮がダイレクトに味わえます。前作『Nameless hands〜人形の家』で開花した、多彩な語彙と演出法を活かし、いい意味で観客を楽しませる術も特に二部で活かされており、完成度の高さに加え魅せ方のうまさも抜群。Noism本公演で上演された全作品を観ていますがNoism/金森にとって新たな代表作の誕生といえると思います。金森のミューズ井関の魅力が全開であり、一部には金森が久々に自作に登場するのもファンにはうれしい。ただ、強いていえば「academic」パートにおいて回を重ねより強度ある表現ができれば(ことに男性陣)一層密度の濃いものになっていく気はします。メンバー変遷も多く、基礎鍛錬がしっかりできたうえに金森の意図する表現を習得する踊り手を恒常的に育てることは課題。それを金森も実感しているからこそ付属研修生カンパニー/Noism2の創設を決意するに至ったのかもしれません。
Noismの本拠地、りゅーとぴあを過去に訪れたことはありますが、公演を観たのはスタジオ・能楽堂公演のみ、ホール公演を観たのは初めてでした。Noism創設当初は動員にやや苦戦したということですが、初見日は3日間公演の初日、1階席の9割方は客席が埋まっていました。客席の雰囲気も上々、観劇慣れというか斜めに構えてダンスを見ることなくヴィヴィドな反応が感じられました。カーテンコールも熱烈で、5年間にわたる活動の結果、熱心な観客層が育ってきていることを肌で実感しました。
本作は数週間後、東京の新国立劇場で上演されます。しかし、舞台機構が新潟とはあまりに違う(奥行き幅とも大幅に狭い)。貸館公演と違って仕込み・リハーサルの期間が長く取れるため、劇場に合わせ最善の調整ができるとアフタートークで金森が語っていましたので、計算済み、問題ないのでしょう。ただ前売券が完売しており、若干枚の当日券しか用意されていないのが残念です。東京では人気に比して公演数が少ない印象。苦労してチケットを入手してでも観るに値する舞台に思いますし、ダンス界に一石を投じる話題作として本年度を代表する一作となるのは間違いないでしょう。
(2009年6月5日 新潟市民芸術文化会館 劇場)