アキコ・カンダをあらためて追悼する

モダンダンスの第一人者のひとりアキコ・カンダ(本名・神田正子)が亡くなったのは9月23日のことだった。昨年10月より肺癌を患い、芸能活動と闘病を両立させていたが、9月9日〜11日まで青山円形劇場で開催されたリサイタル『花を咲かせるために〜バルバラを踊る〜』に病躯をおして出演したのち入院し、世を去ってしまった。公演中は劇場と病院を行き来して輸血を受けながら舞台に立っていたという。
最後となったリサイタル冒頭のソロ『生命(いのち)のこだま』では、弱弱しげに佇み踊るなかにも生への意思をひしと伝える。後半の『バルバラを踊る』では、はかなくも凄絶に生命を燃やし尽くすかのような懸命なアキコの踊りに慄然とさせられながらも、いついかなるときでも一切の虚飾を廃し純粋にダンスと向き合ってきた彼女らしく儚くもピュアで美しい踊りに魅了された。この公演の模様については先だって「讀賣新聞」(東京本社版)夕刊に「生命燃やし 儚く、凄絶に」と題された記事を寄稿させていただいた。
享年75歳というのは、やはり惜しまれる。アキコがマーサ・グレアムの下へ旅立つ直前に行った初のリサイタルを観て批評を書き、帰国後から最後までの公演を見続けてきた評論家の山野博大はアキコの死について“寿命の延びている最近の日本女性としては、かなり早すぎる”(インターネット舞踊誌「The Dance Times」掲載の追悼文)と記した。文芸評論家で新書館編集主幹の三浦雅士もグレアムが長生きだったので、アキコも長生きすると思い込んでいたという旨を綴っている(「ダンスマガジン」12月号所載)。無我の境地で一途にダンスを追求してきたアキコが、この先80歳、90歳と踊ることができれば、さらなる深い境地・ダンスの新たな地平が生み出せたかもしれない…。そう考えると、遺族や関係者はもとより観客にとって何よりの痛恨であり無念である。
しかし、いまとなっては、生涯現役を通し、多くの後進を育てたアキコに感謝するとともに、想いを伝え、受け継いでいくしかない。アキコ・カンダ ダンスカンパニーは遺族の理解もあって今後も高弟の市川紅美らが引き継ぎ活動していくという。来る13日(日)、さいたま市民会館おおみやホールで行われる、おおみや舞踊協会公演では、昨年のリサイタルで好評を博した『光の交錯』をアキコ・カンダ ダンスカンパニーが踊り、また、アキコの代表作『愛のセレナーデ』を洋舞協会メンバーが踊る。今回、立ち会えないのが残念だが盛会を祈っている。アキコへの何よりの手向けとなることを願いたい。
(敬称略)