「小牧正英先生を偲ぶ会——七回忌にちなんで——」

3月20日(水・祝)春分の日、都内のホテルにて戦後バレエのパイオニア小牧正英(1911〜2006)の7回忌を偲ぶ会が行われた。
小牧は岩手に生まれた。上京して目白商業高校を卒業したのちハルビンの音楽バレエ学校に学び、魔都と呼ばれた上海のライセアム劇場を拠点にしていた「上海バレエ・リュス」の中心ダンサーとして活躍した。これは帝室マリインスキー劇場のOBやディアギレフのバレエ・リュスの残党からなるカンパニーで、幅広いレパートリーを誇っていた。そこで主役含め多くの役柄を踊っていたのである。戦後帰国後は第一次東京バレエ団による『白鳥の湖』全幕日本初演(1946年)に際して主導的な役割を果たす。その後も小牧バレエ団を主宰し数々の古典バレエや近代バレエを紹介した。
1940年代後半から60年代頭にかけて一時代を築いた小牧バレエからは日本バレエを発展させてきた多くの舞踊家・指導者が生まれている。現在、同門会はないが世話人(高橋好子・水口和子・鈴木光代・田村征子・木村公香)が、最初期の弟子にあたる谷桃子・関直人との連名によって7回忌の会への参集を呼び掛けたところ多くの古参門下が集った。
木村の司会により進行。小牧への感謝の思いと、小牧の業績を伝承していきたい旨が語られた。参会者全員による献花に続き、関、佐々保樹という重鎮の挨拶となった。小牧に憧れバレエをはじめた関そして関の踊る姿に惹かれバレエにのめりこんでいったという佐々の思い出話を一同懐かしそうに聴き入る。舞踊評論家・山野博大が『白鳥の湖日本初演の前後で日本のバレエは変わり興行としてのバレエが根付いたということを話し小牧を称えた。舞踊評論家・うらわまことの音頭で献杯し歓談に移った。
会場のそこかしこでOBたちが旧交を温めあう姿がみられた。何十年ぶりという邂逅もあったという。関、横井茂、佐々、橋浦勇、雑賀淑子、尺田知路、由井カナコ、岡本佳津子ら日本バレエ史を彩ってきたそうそうたる面々の姿も見えた。来賓の菊池宗(小牧の甥で遺志を継ぎ東京小牧バレエ団団長を務める)、糟谷里美(「日本バレエのパイオニア〜バレエマスター小牧正英の肖像」著者)のスピーチや親族代表による挨拶も。会場には貴重な写真や資料も展示され見入るOBの姿があった。
小牧の活躍によって日本のバレエは劇的に飛躍向上したのは疑いないだろう。各スピーチからも、そのことがうかがい知れた。先人の遺した遺産を、どうつなげ発展させていくかが問われてくる。日本バレエの過去・現在・未来について思いをはせる好機だった。
舞踊評論家/ジャーナリストの出席者は山野博大、うらわまこと、伊地知優子、谷孝子、中島園江、池野惠、高橋森彦(順不同)。チャコット株式会社の早川社長と山田常務も来賓として参加していた。


日本バレエのパイオニア―バレエマスター小牧正英の肖像

日本バレエのパイオニア―バレエマスター小牧正英の肖像