dance++「地獄のオルフェウス、あるいは脚のない鳥」

 東京・神奈川(首都圏)に次いで舞踊が熱心な地域といえば、関西と思われるだろう。しかし、近年注目されるのが、愛知(中京圏)のダンス・シーンである。大小のバレエ団・バレエスタジオが林立、定期的に公演を行なうほか、現代舞踊協会中部支部の熱心な活動も知られる。ダンスオペラシリーズを始め、愛知県芸術劇場の企画公演も常に話題。昨年の愛・地球博では、パリ・オペラ座バレエ団『シーニュ』が日本独占上演されている。つい先日には、バレエ団の枠や利害を越え優れた人材の育成を試みるダンサーズ・スコーレが発足。その愛知で注目すべき公演が行なわれた。ダンスプラスプラス dance++ 『地獄のオルフェウスあるいは、脚のない鳥』(2月16日〜18日名古屋市名東文化小劇場)。主催は川口節子バレエ団 ・南條冴和モダンダンスグループ。企画は和見良介。ジャンルやカンパニーといった枠に囚われることなく、時間をたっぷりかけ自由に創作する、新たな上演形態を模索しようという試みである。

名古屋市内各区にある文化小劇場が募集する「文化小劇場芸術公演」制度を活用することから、この公演は始まった。本番および準備期間5日間の施設利用料が無料のほか、制作宣伝面でのサポートなどが受けられるというもの。とかく一般客には“難解”というイメージの強い現代ものの公演は、首都圏以上に成功させるのが難しい。主催者のひとつ川口節子バレエ団でも、バレエの発表会・定期公演を開けば、出演者(教え子)の身内や関係者で、大ホールであっても埋めることが出きる。しかし、出演者も少ないこの公演、3日間1,000名弱の動員には不安があったという。採算という問題を「文化小劇場芸術公演」という制度を活用、クリアしようとしたのである。

そして、“コンテンポラリー”と銘打ったからには、同時代の観客が共感できるものを創りたい、という意思のもと、制作は進められた。ギリシャ神話を題材にしたテネシー・ウィリアムズの戯曲『地獄のオルフェウス』に登場する“脚のない鳥”――生涯空を飛んで過ごし、死ぬときにのみ地に降りる鳥の話と、それに基づき創られたウォン・カーウァイの映画『欲望の翼』をモチーフにしている。オムニバス形式で3人の出自の異なる振付家が競作。準備期間を含め一年近くにわたるプロジェクトとして進行、公演にこぎつけた。

冒頭に上演された沼田眞由み振付『The murmur of the winds』は、関係性をテーマにしたコンテンポラリー・ダンス風の作品。ひとり白い鳥のような衣装を着たダンサーを軸に7人のダンサーが出演。自身と他者との関係に抗い苦しむ姿と、そこから遠く離れた場所への飛翔への希求を描いているようだった。イメージを振りとして紡ぐという発想は、原作やテーマへのアプローチとして当然考えられるべきものであるし、一定の成果は挙げることはできる。しかし、創り手の想いなり意図なりを既存の手法でなぞるだけでは、観るものに与える印象はどうしても薄くなってしまう。

そのことは、続くC.L.I.P.(長谷川美樹、加藤良子、相川梢、中村享也)振付『一片のpuzzle』についてもいえる。モダン風の作品で、四人のダンサーが登場。ソロ、デュオなど動きバリエーションはそれなりに豊富。よるべない日常を生きる人間の葛藤を描いたように思われた。しかし、あまりのストレート、抽象的・漠然としたイメージの羅列に、作者の表現したい“想い”が十分に伝わってこないもどかしさを感じたのも事実。

イメージと自らのうちにひそむ衝動をどう作品として血肉化するのか。改めてその難しさを実感するなか、最後に上演されたのが川口節子振付『HEAVEN』。世俗的な社会を生きる大人たちが、子どもたちの社会を描き出していくというコンセプトである。どんなに抑圧された環境にいても、不恰好でも、弱くても、人間は自由をもとめ“明日は飛飛べる”という希望をもって生きられるのだ、という“想い”が伝わってくる。鳥の羽らしきものをつけた少年が自転車を漕ぐ。しかし、漕いでも漕いでも飛翔できない……。

ダンス・クラシックをベースにはしているが、振付の発想は自在。遊戯的な振りや、ずらしがちょっぴりコミカルでノスタルジック、しかし前向きな希望溢れる空気を醸し出す。8人の女性ダンサーによる作品だが、数人がからみ合い、引きずりあったり、下手上手へ出入りしたりと変化にとみ、キリアンの『シンフォニー・イン・D』に通じるような面白さもある。背が高い男性が不器用な少年役を演じ、終盤近くでみせたアントルシャの連続は“明日への飛翔への思い”を伝え感動的。原作に喚起されたであろうイメージをそのまま“表出”するのではなく、“大人社会から描く子ども”という設定を設ける。そのうえで、心の底から湧きあがる衝動を、“表現”(振付)として定着させた川口の力量が光る。バレエのパをそのまま用いたもの、加工したもの、それ以外のものをバランスよく用い、いずれもがいかに空間を有効に使い、ダンサーの存在を際立たせるかという点で成立しているのも素晴しかった。

三者三様、時間をかけひとつのテーマに身を削り立ち向かったこの公演。3編の力作を通して、人間は希望を抱いて生きていける、という勇気もらうことが出来た観客は多いだろう。風通しのよさが際立つ愛知舞踊界。そのなかでも意欲的な創作形態として注目される。次なる展開に期待したい。

(2006年2月17日 名古屋市名東文化小劇場)