A.A.P.「ONKO CHiSHIN 温故知新」



A.A.P.,ONKO CHiSHIN

“箱モノ行政”という言葉がある。舞台芸術の世界では、バブル時代を盛りに各自治体が劇場・ホールを競って建設。しかし、施設(ハード)を作っただけで、何を上演するのか(ソフト)という点が見過ごされ運営されていることが挙げられるだろう。田舎の田んぼのなかにホールが仰々しくそびえているが、そこで行なわれているのが、おばあちゃんの踊りのおさらい会だというような話は、珍しいことではない。しかし、近年では、劇場・ホール運営の意識も高まり、行政と劇場運営の取組みも変化しつつはある。

今回取り上げるのは、京都府府民ホール アルティの取組みについてである。和風の情趣あふれる造りが特徴、多彩な舞台構造の組めるこの劇場では、1991年から「アルティ・ブヨウ・フェスティバル」を開催。上演する作品を広く公募し、バレエから現代舞踊まで多彩な作品の“発表”の場として活用されてきた。しかし、昨年から作品を“創造”するという観点のもと、オーディションによりダンサーを募集。芸術監督に振付家の望月則彦を迎え、アルティ・アーティスト・プロジェクト(A.A.P.)が結成された。

その2回目となる公演は、題して「ONKO CHSHIN 温故知新〜今なぜグラハムなのか〜グラハムを識る・観る・学ぶダンスコンサート」(2月18、19日)。現在世界でオーソドックスなダンス・メソッドのひとつとしてグラハム・メソッドが挙げられよう。体系的に身体を鍛えるシステムとして極めてすぐれており、モダンダンスの教科書といってよい。望月はあらためていま、グラハムに注目。ダンサーたちに“基礎的な肉体トレーニング”をさせることで“体の芯から絞り出すような力強い表現”を引き出そうと試みたのである。望月には、近年のコンテンポラリー・ダンスブームへの反撥が強くあるようだ。当日配布されたプログラムには、“コンテンポラリー”と名乗るもののなかには、“「自由に表現する事」のみに捕らわれているもの”が散見され、“舞台での舞踊は子供の即興演技ではない”とまで書いている(その点に関しては画一的に論じられないし、異論のある方も多いだろうが)。“自由”に表現するには、土台となるものが必要。そう考える望月は、ダンサーたちのベースとなるものとしてグラハム・メソッドを選んだのである。

A.A.P.は、折原美樹(マーサ・グラハム舞踊団)の指導のもと、昨年夏に10日間のワークショップを実施。その後もトレーニングを重ねてきた。本公演では、第一部で望月の振付による『祈りの人』〜グラハム讃歌〜を上演。第三部では、折原によるソロ『サティリックフェスティバルソング』を挟んで、A.A.P.のメンバーによる『セレブレーション』『ステップス・イン・ザ・ストリート』とグラハム作品が上演された。折原の絶品のソロに加え、A.A.P.のメンバーたちもコントラクション、リリースといったグラハム・メソッドを吸収。見ごたえのある舞台を創り出していた。

そして、本公演の特長といえるのが第二部。“グラハムを識る・学ぶ”ということで、グラハム作品を折原が解説した。バレエの発祥からモダンへの展開まで舞踊の歴史変遷をたどる。A.A.P.のメンバーによるグラハム作品のデモンストレーションもあり、一般の観客にとってなじみの薄い舞踊の知識について明快なレクチャー。配布された資料も、コンパクトにまとまっていた。個人的には既知のことが多く、せっかく折原さんがいるのだからグラハムの裏話など聴きたかったが、それは場違いというもの。観客を育てるという試みこそ、公共ホールの行なうべき取組みのひとつといえるだろう。

劇場を“発表”の場から“創造”の場へ。そして、観客を集めるだけでなく、育てる場へ。今回のA.A.P.公演は、公共ホールとしてはもちろん、すべての劇場関係者が切に取り組むべき課題を明確にする画期的なものとなった。

(2006年2月18日 京都府民ホール アルティ)