創作作品の再演について

先日鑑賞したダンスカンパニーカレイドスコープ「The World of Kaléidoscope vol.2」(8/25-27 スパイラルホール)では『Moment, Once, Certain』『Figure Edit』という作品ともに再演であった。このカンパニーは今年2月に主宰・振付家の二見一幸の新作3本立公演を行い、5月にはメンバーたちの創作公演を試みた。そして夏は旧作の再演である。ベテラン中心に奥深い表現で魅せた『Moment, Once, Certain』、若手ダンサーを用い透徹したムーヴメントの造形で観るものを圧する『Figure Edit』それぞれ微に入り細に入って練り上げられ完成度が高い。再演の重要さを肌で感じさせられる機会であった。
バレエにしろコンテンポラリーにしろ現代舞踊にしろ創り手は皆新作を作りたがる傾向にあるように思われる。観客にしても新しい作品を観たいという欲求が強いだろう。だが、身を削るようにして創られた新作を1回の公演でお蔵入りしてしまうのはいかにも惜しい(無論、再演に値するものに限る話だが)。練り直した再演は作品を成長させる。評判の作品を多くの観客に観てもらえるチャンスでもある。
舞踊とは一回性の、はかない芸術。一時的に賞賛を博した話題作が跡形も無く消えることも珍しくない。だが、歴史を通してみると残るべき作品は残り命脈を保つのもの。時というものは何と正確で残酷な批評家なのだろう。今では古典の『ジゼル』や『ラ・シルフィード』『白鳥の湖』なども様々な艱難の道を経て生き残った。ケネス・マクミランの『マノン』『マイヤリング』など初演時の批評家の評判は芳しくなかったが今では20世紀バレエの名作扱いである。モーリス・ベジャールの『春の祭典』や『ザ・カブキ』もそうだ。
現代の一級の振付家たちのなかにも自作の再創造や再演に力を入れているものが少なくない。ベジャールがそうであるし、ピナ・バウシュもそう。ヌーヴェル・ダンスの旗手だったアンジェラン・プレルジョカージュもしかり。日本でも佐多達枝、勅使川原三郎や大島早紀子などは新作公演とともに旧作の再演にも力をそそいでいる。
ダンス芸術が広く根付いていくためにも優れた作品の再演、レパートリー化は欠かせない。ただ、振付家が主体となって活動する小カンパニーではなかなか難しい。大バレエ団や有力団体がそれらの優れた振付家の作品をレパートリーに加えるのも手であろう。再演活動に関して公的・民間の支援の強化も一層望まれる。
鑑賞者も新作に気が向いてしまうが再演にも目をむけ、創り手とともに作品を成長させていく気持ちを心の隅において観劇したいものである。観客のいないところに舞台芸術は成立しないのだから。