ベルリン国立歌劇場『モーゼとアロン』

旧約聖書に登場するモーゼとアロンの物語に材を得たシェーンベルク未完のオペラ『モーゼとアロン』は、演奏の難しいこともあってか上演されることはごく稀である。日本での舞台上演は今回のベルリン国立歌劇場公演で2回目、なんと37年ぶり。
ベルリンでの初演に際しては2年の準備期間が費やされたという。巨匠ダニエル・バレンボイム雄渾の指揮によって不協和音の洪水がなんとも力強く、そして艶やかに奏でられる。絢爛たる、そして妖しいまでの魔性を秘めた響き。アロン役はテノール、モーゼ役の歌手は、歌唱と語りの中間的な表現「シュプレッヒシュティンメ」を用いる。声と言葉、歌唱と語りの対比。アロンとモーゼの宗教観をめぐる対立というテーマと表現手法の対比がリンクしている。
演出は鬼才ペーター・ムスバッハが手掛けた。大きな特徴は、偶像崇拝の象徴たる金の仔羊像の代わりに、金色に輝く首のない胴体の巨像を登場させた点。フセインら独裁者のそれを思わせる。民衆は、男女問わず黒のスーツ姿でサングラスをかけ、神なき暗闇では、ライトセイバーを思わせる光る杖をもってさまよう。偶像の前では信仰心をなくし騒ぎ乱れる。いつの時代も変わらぬ、民衆の愚かさ…。
魔的な魅力を誇る音楽に対し、舞台空間は色彩感に乏しく、やや殺風景ではある。第二幕、民衆が偶像にすがり酒池肉林を繰り広げる場では、狂喜乱舞の派手なアクションはみられない。第一幕の、アロンが民衆にみせる奇跡――モーゼの杖を蛇に代え、病人を癒し、ナイル川の水を血に変える――も具体的なイメージは示されない。ここでは華美なスペクタクルは徹底して排される。声と語り、演奏の魅力を可能な限り際立たせる点にムスバッハの主眼はあると思う。
バレンボイムとムスバッハの出会いは、シェーンベルクの音楽の特性を最大限引き出す幸福なものとなった。
(2007年10月15日 東京文化会館)