金魚『沈黙とはかりあえるほどに』

金魚率いる鈴木ユキオは、舞踏を出自とするがオルタナティブな可能性を追究してきた注目の作家。以前は演劇的要素も取りいれるなど模索を繰返してきたが、昨年の『犬の静脈に嫉妬せず』は、自身の原点である舞踏を乗り越えようとする意思がにじむ舞台だった。このところの鈴木は、舞踊としての身体へと関心を深めているようだ。
新作公演は、東京は下町・月島にあるギャラリーにて行われた。客席数30程度の小空間である。冒頭の、鈴木のソロが魅力的だ。白シャツに黒ズボンというラフないでたちで登場、踊り始める。勢いよく、切れよく踊りであるが、ディティールは驚くべき精度を持つ。そして場を支配する存在感。踊り手としてただならぬ力量を持つことを証明する。安次嶺菜緒、原田香織が重心を低くし頭を垂らし踊る場や、横山良平の小気味いい踊りも見ごたえがあった。ただ、全体に無音の場が多く、動きのない場もある。導入→展開→結末というパターンや序破急的構成でもない舞台。シンプルな舞台意匠ゆえにダンサーの力量が問われてくる。個々の踊り手が自身の意識の変容が身体に、舞台空間にどのように影響をあたえるのか、を突き詰め状況を打開しないと舞台に隙間風が吹く。終盤、鈴木が再び登場するまでやや間延びした展開になった感は残る。
鈴木の近作はストイックな美学に貫かれている。観客への媚びなどとは無縁。その作風は屹立した断崖を思わせる。身を削るような創作への取組みには共感したい。が、ストイックな、あまりにストイックな態度が気にもかかる。模索の末に導き出した姿勢なのはわかるが、はやくも孤高の境地に入ったのだろうか。
(2007年10月13日 TEMPORARY CONTEMPORARY)