東野祥子/BABY-Q新作『[リゾーム的]なM』

コンテンポラリー・ダンスの中堅・若手振付家では、白井剛、鈴木ユキオ、梅田宏明、KENTARO!!ら男性陣の活躍も目につくものの女性アーティストの創作に圧倒的なインパクトを受けることが少なくありません。特にニブロール矢内原美邦、BATIKの黒田育世らとともにBABY-Qを主宰する東野祥子の活動は見落とせないものです。
関西で活動していた東野が一躍脚光を浴びたのがトヨタコレオグラフィーアワード2004にて大賞を得た『ALARM!』。その後も『GEEEEEK』(2006年)などで人間存在の不安や激しい感情の揺れ、狂気、衝動といったものをときにエネルギッシュに、ときに猥雑に、ときにキッチュに描いてきました。東野自身の無尽蔵とも言える豊富な舞踊語彙によるダンスも圧倒的。身体表現を軸に音楽・美術・衣装・映像・メカ製作といったスタッフワークの力も折り重なって構築される美的で完成度の高い空間構成も魅力的です。
新作『[リゾーム的]なM』は、東野のこれまでの集大成にして新たな展開を予感させる大作でした。公演タイトルにあるリゾームとは、フランスの哲学者ジル・ドルーズと精神分析家フェリックス・ガタリが生んだ概念。元来地下茎の一種、根茎を意味する言葉であり、統一する中心に根拠づけられることのないシステムの分散的な多様性を示します。東野は冒頭で少し踊りますが、基本的に演出・振付に徹したとのこと(音楽担当のカジワラトシオが共同で演出)。腹を膨らませた妊婦たちや巨乳の女、熊?の着ぐるみ、舞台上方から下界を監視する不気味な男、ドラァグクイーンたちが入り乱れ、その異形な身体性や感情の起伏がシーンごとに奥深く多層的に描かれました。
女性としての感覚が強烈に打ち出されたり、フリークス的人物が登場するのは従来の東野作品と同様。しかし、今回、厚みあるイメージの集積として説得力がありました。例えば、3人の男性が扮するドラァグクイーンが登場しますが、これはドラァグクイーンという語の起源たる男性が理想とする女性性をデフォルメ化したものと思われます。女性という性をパロディ化して遊ぶ、という一面も。私的感覚に依拠しただけの、個性やら自己表現の発露を“女性性”と吐きちがえた凡庸さとは違ったシニカルな視点が感じられます。このあたりは、男性であるカジワラとの協同作業によるのかもしれませんが、知的さ・批評性をも備えており、入念に練り上げられた舞台づくりが見て取れました。
ダンス面に関して変化も。終盤にドラァグクイーンたちの後ろで激しく踊る女性群舞が印象的ですが、それと冒頭の東野のソロを除けばダンスらしいダンスはあまりありません。東野のパワフルで語彙豊富な踊りを中心とした舞台づくりから変質しつつあります。今作は、BABY-Qとは東野を軸にオルタナティブなパフォーミングアーツを創出する芸術家集団であることをあらためて所信表明したもの。演出家として自身の世界観を具現化、重層的・立体的な舞台を完成させた東野の構成力が際立っていました。
(2009年8月8日 吉祥寺シアター)

BABY-Q Dance Performance "GEEEEEK - 愛の乞食と感情の商人、その家畜たち ───"

BABY-Q 『Matar o no matar』@superdeluxe