黒田育世/BATIK『花は流れて時は固まる』

フェスティバル/トーキョー09秋で上演中の黒田育世/BATIK『花は流れて時は固まる』。2004年、パークタワーホールでの初演は鮮烈な印象だった。構成も振付も荒削りなのは否めぬも切実というか伝えたいものがあるというか・・・。朝日舞台芸術賞受賞してキリンダンスサポートを受け再演されるはずがその後国内再演はなかった。演出上、タッパのある空間でないと上演できないという特殊性があったからかも。
2007年ベネチア・ビエンナーレでの再演もあったけれども国内での5年半ぶりの再演は文字通りのリ・クリエーション。構成も振付も大幅に変わってはいた。時間軸や空間軸をテーマにしているのだろうけれど、そんなことよりも動きで、身体で語る勇気というか覚悟が並一通りではない。兎にも角にも振り付けがハード。ダンサーたちは90分間ほとんどずっと踊りっぱなし。でも以前ほどの必死感はなくて淡々と踊っているように見えるのがまたすごい。終盤、黒田がソロを踊っている後ろの上からダンサーたちが落下を繰り返す場は初演同様圧倒的。それだけでも必見もの。カタルシスが得られる。そういえば初演の際のアフタートークでゲストの山口小夜子さんが興奮を隠せずに口を極めて黒田作品を絶賛していたのを思いだす。若い才能を無邪気過ぎるくらい素直に賞賛・応援できる素敵な人だなと思ったが、その山口さんは今はなき存在に・・・。
黒田作品は『SHOKU』に顕著なように女性である私的感覚(アフタートークでの黒田の言によると意外にも「女性性」とか意識したことはないという)がときに露悪的にまで開陳される。苦手な人はとことん苦手だと思う。でも、過激でときに露悪的であっても今回の公演プログラムに寄稿された乗越たかお氏が書くように“俗に落ちない”。ある種の突き抜けた清浄さを感じる部分があるので私は不快には思わない。以前は脈絡なくシチュエーションを連ねた印象もあったが『ペンダント・イヴ』(2007年)以降は、魅せ方もうまくなり、構成力も大幅にUP。振付面も以前ほどバレエっぽさは感じられず工夫もある。今年は“新境地”と評されたドキュメンタリー的作品を福岡で初演、東京でも上演されたが、個人的にはあまり買えなかっただけに今回も危惧していたけれども杞憂に。
BATIKの作風の過激さや露悪性を表層的に捉えて拒否感を示す向きやイチャモンをつける人もいるようだが、そんな声に負けず黒田にはわが道を行ってもらいたい。近年は黒田と同年代の鈴木ユキオや東野祥子も活躍しているが黒田と矢内原美邦は2000年代初頭からコンテンポラリー・ダンスを牽引したという点で特別な存在なのである。
(2009年11月17日 にしすがも創造舎)