森下洋子の踊る松山バレエ団『くるみ割り人形』

名門・松山バレエ団も例年年末に『くるみ割り人形』を上演しています。振付・演出:清水哲太郎によって1982年に初演、再演のたびに練り上げれて現在に至ります。
清水版『くるみ割り人形』の大きな特徴は、少女クララが女性として、人間として成長して行く道程をしっかり描いていることでしょう。姿を変えられた王子を純粋にいとおしむ少女の思いが魔法を解く―少女の成長と魂の浄化が手に取るように伝わってきます。そう、これは、バレエという表現によるビルドゥングスロマン(教養小説)といってもいいかもしれません。とはいえ、そういったものにありがちな甘さは微塵も存在しません。清水版特有のクララと王子の「別れのパ・ド・ドゥ」があるから。そこには“「これからクララも別れという人生の切なさ・苦しさを味わってゆかねばならない」というほろ苦さ”がこめられ、人生=出会いと別れの連続というものの玄妙さを余すことなく伝えます。
無垢さや愛といった人間精神の根本にあるべきことを観念でなく具現化するのに舞踊は適した手段。清水版『くるみ割り人形』は、美、愛といったものを概念に留めず直截的かつ微細に伝えます。世知辛い世の中である現在、文化・芸術というものが人々に何を与えられるか―ということを考えるのに際しても示唆に富んだものといえるのでは。
層の厚いソリスト・群舞、重厚にして華やかな舞台装置や衣装等も見逃せませんが、舞台の中心に位置し比類ない輝きを放ち続けるのが森下洋子です。第一幕、クララはプレゼントにバレエシューズを貰いうれしさを隠し切れず愛らしい表情を浮かべます。やがて、王子を助け、お菓子の国においてチュチュをあたえられ、王子とグラン・パ・ド・ドゥを踊ります。オールド・ファンならずとも、幼少からバレエに打ち込み、常に至高の境地に挑み続ける不世出のプリマ・森下のバレエ人生がオーバーラップしてくるでしょう。
森下の当たり役は多くて簡単には絞れませんが、憧れというものを究極の形で踊りきる『シンデレラ』のタイトルロール、女優バレリーナの真髄発揮の『ロミオとジュリエット』のジュリエット等と並んで『くるみ割り人形』のクララの演技は極めつけといえるもの。クララ=森下=バレエの申し子――今回、その思いを新たにしました。
(2009年12月23日 ゆうぽうとホール)


バレリーナへの道〈38〉世界のプリマ森下洋子

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