大島早紀子演出・振付 東京二期会オペラ劇場 ベルリオーズ『ファウストの劫罰』

東京二期会オペラ劇場東京二期会/東京フィル ベルリオーズ・プロジェクト 2010の一環としてエクトール・ベルリオーズ作曲『ファウストの劫罰』を上演した(初日観劇)。これは「4部からなる劇的物語」と題されたもので、ドイツの文豪ゲーテの「ファウスト」に基づいたベルリオーズの代表作。しかし、ドラマの展開が断片的といわれることもあって舞台上演は希少なことで知られる。日本では1999年にサイトウ・キネン・フェスティバルにて指揮:小澤征爾、演出:ロベール・ルパージュで上演され話題になっているが、今回は指揮にフランス音楽の第一人者と目されるミシェル・プラッソン、演出・振付にダンスカンパニーH・アール・カオスを主宰する大島早紀子という布陣だ。二期会と大島がタッグを組むのは2007年のシュトラウス『ダフネ』以来2度目のことである。
生への欲望から悪魔メフィストフェレスに魂を売った老人ファウストの悲劇――。大島はそこに現実と仮想が錯綜し、ヴァーチャルな世界で生の実感を得難い現代における身体性の喪失を重ね合わせる。これは、近年の大島の一連の仕事の延長にあるといっていい。2004年のH・アール・カオス公演『人工楽園』や2008年の愛知芸術文化センター制作によるダンスオペラ『神曲』などは、同様といっていい主題を扱ってきた。ことに後者は『ファウストの劫罰』と同じ原作者による「神曲」をモチーフとしたもので、時空を超えた空間で展開されるエロスとタナトスをめぐるドラマという点でも相似形を成す(『神曲』に関しては当時、美術誌に依頼されて評を書いた)。『ファウストの劫罰』は、これ以上ない最適の演出家の手に委ねられたいっていいだろう。実際、視覚的な美しさに定評ある大島演出であるが、今回はより哲学性の深い「読み」のある演出が光った。
大島のミューズ白河直子をはじめとしたH・アール・カオスのダンサーたちは例のごとく数々の象徴的なイメージを鮮やかに体現する。専売特許ともいえる華麗なるワイヤー・ダンスは今回も健在だ。しかし、これまでのダンスオペラや『ダフネ』上演のときとダンスの魅せ方は違ったように感じた。これまでは、命を燃やし尽くすかのような燃焼度の高いダンスが表象すべきイメージを超えてしまう印象も。それはそれで大変に魅力的であったが、構成や演出のバランスからすればやや過剰に思える印象もあった。今回は、ワイヤー・ダンスにしても床や階段を使ったダンスにしても最初は抑制された用いられ方をしている。終盤の山場でも多彩なダンスが展開されるが、音楽や歌・合唱それに照明と相まって劇的高揚を最大限引き出すための要素として効果的にダンスを配している。足し算でなく掛け算。大島の演出家としての懐の深さが広がった。オペラは趣味で見るだけなので門外漢だが、オーケストラ、歌手・ソリスト陣の水準も高いと感じた。沢田祐二の照明も陰影深くそれでいて随所に色気があってハッとさせられる。管弦楽と歌・合唱とダンスが高い次元で融合し、美術・照明等の諸要素も充実して、美的にも強度の高い作品に仕上がっていたのは喜ばしい。終幕に得られる圧倒的なカタルシスのすばらしさにはただただ圧倒されるばかりだ。
今日、オペラ演出には、映画監督や演劇の演出家をはじめ音楽畑とは違う異分野の演出家が参入している。ダンス畑でも今は亡きモーリス・ベジャールピナ・バウシュにはじまり、トリシャ・ブラウン天児牛大勅使川原三郎アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル、ジョゼ&ドミニク・モンタルヴォらの仕事が知られる。大島と二期会のコラボレーションもこれらの系譜のなかにおいて特筆されるべきものであろう。二期会では映画監督の故・実相寺昭雄やミュージカル畑の宮本亜門、小劇場演劇出身の白井晃ら異分野の異才を演出に起用してオペラ上演を行っており、実相寺の『カルメン』や宮本の『フィガロの結婚』等は観たことがある。今回の『ファウストの劫罰』に接して、わが国の誇る多才な演出家を活かし、歌手・合唱陣は常に日本人オンリーで、実験的かつ質の高い上演を続ける二期会の活動の充実ぶりをあらためて実感させられた。


ベルリオーズ:劇的伝承「ファウストの劫罰」

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