日本人にも親しまれるフランスの純愛物語『シラノ・ド・ベルジュラック』『椿姫』

BeSeTo演劇祭で上演されているSCOTによる鈴木忠志演出『シラノ・ド・ベルジュラック』を観る。2006年にも今回と同じ新国立劇場にて劇場主催公演に招聘されて上演されてもいる鈴木にとっての近年の代表作のひとつである。鈴木は前衛演劇の旗手として注目され、いまなお第一線で活躍する世界的演出家だ。「スズキ・メソッド」という身体訓練法を編み出し後進に影響をあたえたことはよく知られよう(金森穣などもそうだ)。『シラノ・ド・ベルジュラック』は、フランス人、エドモン・ロスタン原作の著名な物語。それを戯曲を読み解いてメタ構造にしつらえ、舞台意匠や演技・所作を日本式にするあたりはいかにも鈴木的だが、音楽にイタリアオペラ・オペレッタが使われるという意表を付かれる演出もあって独特な方法論と美意識に貫かれた異色作である。


演劇とは何か (岩波新書)

演劇とは何か (岩波新書)

鈴木は会場で配られた演出意図を語るリーフレットのなかで、『シラノ・ド・ベルジュラック』と『椿姫』(デュマ原作)は舞台芸術の世界において日本人に親しまれてきたフランスの生んだ二大純愛物語だと述べている。醜顔から、娼婦という職業からそれぞれの主人公シラノ、マルグリッドは自由に生きられない。両者の純愛と悲劇が日本人に身近であったのは、“一時代前の日本人が、人間関係において精神的な不自由を感じ、あるいは劣等感にながら生きてきた証なのかもしれない”と指摘している。
それだけが理由でないにせよ、確かに現在に至るまで、わが国において『シラノ・ド・ベルジュラック』『椿姫』は演劇、オペラ、舞踊等の舞台にしばしばかけられ名舞台も生んでいる。『シラノ・ド・ベルジュラック』の舞台版といえば、なんといっても新国劇の故・島田正吾によるひとり芝居『白野弁十郎』が伝説の名舞台と言われる。私も島田の晩年に早稲田大学大隈講堂で上演された舞台を観て大変感激した覚えがある。新国劇の後進・緒方拳がそれを受け継いだが、その緒方も早世したのが惜しまれる。近年では、市村正親主演『シラノ』という舞台もあった。『椿姫』はヴェルディ・オペラの名作であり、頻繁に舞台にかかる。演劇では、新派の初代水谷八重子美輪明宏坂東玉三郎大地真央らが演じており、私も大地の舞台を観ている。鈴木のいうように、ふたつの物語の底流を成す主題は、日本人になじみ深いのかもしれない。


シラノ・ド・ベルジュラック (光文社古典新訳文庫)

シラノ・ド・ベルジュラック (光文社古典新訳文庫)


椿姫 (光文社古典新訳文庫)

椿姫 (光文社古典新訳文庫)

ここでは、舞踊における『シラノ・ド・ベルジュラック』『椿姫』について触れておこう。
シラノ・ド・ベルジュラック』でいえば、まず有名なのが、物語のお膝元フランスの生んだローラン・プティ版。1959年、パリ・バレエによる初演である。プティ自身や彼のミューズたるジジ・ジャンメールも出演している。モイラ・シアラーとプティの踊るパ・ド・ドゥは映画「ブラック・タイツ」に収録された。イギリスでは、デビッド・ビントレーが1991年にウィルフレッド・ジョセフスの委嘱曲を使ってコベントガーデンで発表したが不評に終わった。しかし、2006年にカール・ディヴィス曲を得てバーミンガム・ロイヤル・バレエにて発表した版は好評を得たようで、ロシアのブノワ賞にもノミネートされた。ビントレーは、2010/2011シーズンからは新国立劇場の舞踊芸術監督を務めるだけに、ひょっとしたら以後、新国立のレパートリー入りするなんてことがあるかもしれない。日本では、バレエ団芸術座を主宰し、数多の文学作品のバレエ化を手がけている深沢和子が2005年、日本バレエ協会「バレエ・フェスティバル」において中編として発表している。黄凱やミュージカル畑の平澤智の出演だった。さらに昨2009年夏、札幌の「ドリーム・オブ・ダンサーズ」公演においてバレエ界の巨匠・佐多達枝が『シラノの恋』と題した40分程度の中編を発表している。森田健太郎、佐々木和葉らの出演。目下、佐多の本格的な舞踊作品としては最新のものにあたる。東京でも機会あればぜひ見てみたい。


ブラック・タイツ(上)【字幕版】 [VHS]

ブラック・タイツ(上)【字幕版】 [VHS]


『椿姫』に関しては、ショパン曲によるジョン・ノイマイヤー版(1978年)があまりにも有名。リスト曲を使ったフレデリック・アシュトンによる一幕もの『マルグリッドとアルマン』(1963年)も名作の誉れ高い。他にもアントニー・チューダーらが手がけている。日本では、新国立劇場で発表され、先日再演された牧阿佐美版(2007年)が近年の話題だ。ベルリオーズ曲を用いた2幕構成によるこのグランド・バレエは、2007年の第7回朝日舞台芸術賞も獲得し“美術、音楽ともに詩情ゆたかに演出された舞台だが、特に現代バレエならではの技法を駆使して緻密な心理劇を構築した振り付けが優れている。将来、日本バレエの貴重な財産となるだろう。”等と選考委員から高く評価された。先日の再演も好評を博している。また、牧が1998年にアザーリ・プリセツキーと共同で振付けた版もある(ヴェルディ曲)。その経験も踏まえ、より日本人の感性に添ったものを、新国立劇場という劇場にふさわしいものをと生み出したのが2007年版なのだろう。ロシア公演も行われ成功だったようでそれも喜ばしい。他には近年でいうと、1960年代以降先鋭的・前衛的な創作で一世を風靡し、故・市川雅がモーリス・ベジャール、ジェローム・ロビンズと並ぶ世界三大振付師とも評した偉才・高橋彪が2004年に振付けているのが目を惹く(未見)。高橋は寡作ながら息の長い活動をしているようだ。