金井芙三枝リサイタルVol.28

今年で75歳を迎える現代舞踊界の重鎮・金井芙三枝。故・江口隆哉に師事したのち、創作活動と平行して日本女子体育大学・同短期大学で教鞭をとるなど、後進の育成にもあたっている。自身の制作・主催によるリサイタルは28回目。しかし、今回をもって踊り収めとすることになった。

ファイナル公演のテーマとして選ばれたのは、チェーホフ。『未亡人』は、笑劇「熊」(1898年)、『可愛い女』は小説「可愛い女」(1899年)から想を得て創作された。いずれも主演は金井。そして、注目されたのが、それぞれの作品の振付として二見一幸、上田遥という、中堅の売れっ子振付家を招いたことである。ラストの公演に、自身の作品に執着せず、後進に機会を与え、自身も踊りを楽しむとは、なかなか粋な試みではないか。

『未亡人』は、夫に先立たれ来る日も来る日も部屋に閉じこもり悲しみにくれる未亡人・ポポーヴァが主人公。それを使用人・スミルノーフ(青木教和)は心配し、励まそうとするが、悲しみは癒えない。そこへ、熊のような荒くれた大男である地主(古賀豊)が、土地の権利を主張して怒鳴りこんでくる。あまりの無作法に怒った未亡人は、“熊”と格闘する……。当初から金井の用意した台本があり、音楽も用意されたうえで、二見は振付にあたったという。制約のある条件ではあるが、そこは才人・二見、職人的な手際をみせた。3人の動きをややオーバーにデフォルメすることで、シニカルな笑いを誘う。未亡人が地主に惹かれていく心情の揺れが手に取るように伝わってくる。金井は全身黒のドレス姿だが、彼女の手の雄弁な表情を上手く生かしているのもさすがだ。

いっぽう、『可愛い女』は、金井が上田とともに台本・演出を担当している。『三人姉妹』などでも顕著なチェーホフの“新しい女”像が込められた作品を、金井が翻案。老婆が若き日に愛した三人の男を回想する。台本の設定上、登場する男たちは原作とは別。年上の劇作家(堀登)との淡い恋は、彼の自決により幕を下ろす。医者(伊藤拓次)との出会いも、交通事故による不慮の死で終焉。悲しみのなか、郵便配達夫(上田遥)が自身の書いた手紙を届ける。そこに書かれていたことばは、“愛してる”。以降、30年にも渡り、その手紙は毎日欠かさず届けられる。愛し、愛されたいという“可愛い女”の強い願望こそ、金井の人生観と合い通じるのだろう。ここでの金井は、若い。肉体的にも75歳とは思えないほどよく動く。しかし、それは褒めたことにはならない。精神的に若いというか、人生に対して、創作に対しての姿勢が若々しいのである。初恋のときめきをや恥じらいをなんとも瑞々しくにじませる。人は、憧れを踊るとき、どうしてこれほどまで若くみえるのだろうか。“ダンスは人なり”、大御所ながら枯れることを良しとせず、前向きに生きる姿勢は素敵だ。ナレーションやコロスを用いた演出も効果的。プレイスリーなどポピュラーな曲とオリジナル曲を上手くつかった音楽も親しみやすい。

両作品を挟んで、門下生による祝舞が上演された。波場千恵子『五重奏』は金井が36年前に振付けた作品をリニューアルしたもの。モーツァアルトの弦楽五重奏曲にのせ、音楽に逆らわないスムースな振りが光る。踊り手では、武元賀寿子の長い手の表現が抜群。飯塚真穂『千の囁き』、坂本秀子『月蝕』ともに水準には達しているが、ユニゾン、群舞の創り方など教科書的、優等生過ぎる嫌いがある。師匠のほうが創作姿勢が若々しいのはなんとも皮肉だ。出色だったのが内田香の自作自演のソロ『ブルーにこんがらがって』。彼女の代表作だ。筆者は、内田のことを“現代舞踊界のシルヴィ・ギエム”と勝手に呼んでいるが、長身の見事なプロポーションと美貌、身体能力の高さは群を抜いている。昨年度、江口隆哉賞をうけるなど、振付家としても有望だ。雰囲気のあるヴォーカル曲にのせ、抜群の身体コントロールをみせながら、物憂げな女性の内面を表現する。じつにクールだ。高々と脚を上げ、長い髪を軽やかに透かす姿はカッコいい。

金井は今後もレッスンは続け、高齢者のダンスクラブへの指導は続けるという。“雀百まで踊り忘れず”プログラムに記されたことばは、自身の進退を見極めつつ踊りに生涯をささげる金井になるほどふさわしいと思われた。
(2006年9月1日 新国立劇場小劇場)