貞松・浜田バレエ団『ドン・キホーテ』

貞松・浜田バレエ団は『ドン・キホーテ』を02年に初演。プティパ/ゴールスキー版に基づき、再演出・指導はニコライ・フョードロフが当っている。この演出の特徴は、演劇的なドラマとしての成熟を目指していること。ゴールスキーはモスクワ芸術座の演劇理念に触発を受けた。広場の群集ひとりひとりに至るまで存在の意義が与えられているのだ。ことに主要登場人物たちは感情の動きを自然な形で表現しなければならない。役を演じ、踊るのではなく、役を生き抜かなければならない。

マイムの重要さを再認識させられた。繰返すまでもないが、グリゴローヴィッチ以後、古典の改訂、物語バレエの創作においてマイムは排除される傾向にある。また、マイヨー、デュアトらのように、ダンスとマイムは別立てに構成する試みもある。だが、マイムとは、単にストーリー・意味を伝える手段ではなく、状況を創り出すもの。バレエ・ダクシオンという言葉を持ち出すまでもなく、ダンスとマイムどちらが欠けても古典全幕は成り立たない。その信念のもと、貞松・浜田バレエ団では、以前からマイムの大切さを訴えてきた。全幕公演の開演前には、団長みずからが舞台に上がり解説を行う。バレリーナが実演し、10分ほどで初心者にもマイムの基礎が理解できる。マイムが豊富でドラマを盛り上げるゴールスキー版『ドン・キホーテ』を上演することは、バレエ団にとって宿願であったにちがいない。指導者としてボリショイの名プリンシパルとして鳴らしたフョードロフを招いたのも当然の成り行きであった。

フョードロフは、ゴールスキー版を元に、その後創作された居酒屋での「ジグ」やゴレイゾフスキー振付による有名な「ジプシーの踊り」を組みいれ、モスクワ派、ボリショイの流れをくむ正統派の舞台に仕立て上げた。いきいきとした広場の情景、居酒屋での滑稽な人間模様・・・。登場人物たちのおしゃべりや笑い声が聞こえ、それを観客が共有できるような舞台こそゴールスキーが目指したものである。それが現代に蘇えった。当節、古典の新演出では、曲順の入れ替えや場面の短縮が花盛り。だが、そのすべてが成功しているとはいいがたい。ダンスとマイムを共存させ演劇性を復権させる姿勢はひとつの見識だろう。オーソドックスではある。しかし、古くはない。チラシ等に堂々と“ドラマティック・バレエ”と銘打っていることからもその自負を見て取れる。

キトリは、正木志保。持ち役であり、安心してみていられる。サバサバと垢抜けた素敵なキトリだ。グラン・パ・ド・ドゥでは、ほとんど軸のぶれないグランフェッテを決め、会場を大いに沸かせた。バジルの貞松正一郎は、初演時に急な故障で降板しているだけに、今回の再演に期するものがあったに違いない。しかし、そんな気負いは感じさせない。狂言自殺の場では、オーバーな演技をせず、それでいておかしさを誘う。グラン・パ・ド・ドゥのヴァリエーションには瞠目させられた。力みがなく、パとパの継ぎ目をいささかも感じさせない。刃物の上を渡るような超絶技巧で魅せる踊り手は多いが、バレエは運動会でも筋肉番付でもない。音楽的でしなやか、踊り心のあるバジルのヴァリアシオンを久々に観た気がする。ドン・キホーテサンチョ・パンサはそれぞれ大の付くベテラン、外崎芳昭(石神井バレエ)、井勝が務めた。一朝一夕ではいかない芸達者が求められるだけに、まさに適役。ガマーシュは岩本正治。長身、偉丈夫の彼がトボケたキャラを演じると可笑しさが増す。この5人の布陣が舞台の成功の鍵となった。

他の踊り手もいい。首都圏の大手も羨むような陣容だ。町の踊り子の瀬島五月は色っぽく、力押しで男たちを惹きつけた印象。メルセデスを踊った吉田朱里はラインの美しさが際立つ。ジプシーの女で激しい女の情念を表した竹中優花は、一転、第三幕のヴァリアシオンで清涼感漂う踊りが光る。キューピッドの上村未香は、キュートで役にぴったり。ドゥリアーダの女王の山口益加は安定感がある。結婚式の場でボレロを踊った大江陽子も場を盛り上げた。ヴァリアシオンを踊った廣岡奈美は各種コンクールで上位入賞を果たす注目株。テクニックは非凡だし、楽しんで踊っているのがよくわかる。川村康二、芦内雄二郎、武藤天華ら男性陣の充実は壮観。アンドリュー・エルフィンストン扮するエスパーダ率いるマタドールたちの踊りには惚れ惚れさせられる。ただ、踊っているとき以外の、歩くときの動作や立ち姿にもう少し神経が行き届いていれば尚のことよかった(舞台でのリハーサルが足りなかったのかもしれないが)。闘牛士は、この時代、エリート的な存在であるのだから、風格を感じさせなければならないように思う。

プログラムに載せられた「いつもある祭りの楽しみ」と題された一文の最後でフョードロフはこう語っている。

“観客には舞台の光り輝く雰囲気に浸っていて欲しい。スペインの広場にある小さな居酒屋の常連客の気分でいて欲しい。つまり、客席は舞台の延長、祭りの延長であって欲しいのです。祭りの楽しみはいつも私たちのそばにあるのですから。”

観客のだれもが、その気分を味わったことだろう。あえて不満をいえば、公演が1回しかなかったことである。

(2006年9月23日 尼崎アルカイックホール)