ある演劇ジャーナリストの死に思うこと

演劇ジャーナリストの土井美和子さんが胃がんのため8月15日に亡くなられた。享年56歳。早稲田大学のミュージカル研究会会長を務め、鴻上尚史率いる劇団・第三舞台の振付を1983年から85年にかけて手がけた。その後は演劇ジャーナリストとして活動、全国公立文化施設協会の芸術情報プラザアドバイザーなども歴任されている。
もう何年も前になるが土井さんがさる大学のオープン講座でレクチャーされるのを傍聴したことがある。詳しい内容は覚えていないのだけれども、土井さんは当時、週に3回くらいしか観劇されないという話は印象に残った。東京では年間通して膨大な数の演劇が上演され、演劇評論家や熱心なファンになると年間300回、なかには400回以上の舞台を鑑賞している人も少なくない。土井さんは、たくさんの舞台を鑑賞することで得るものもあるけれども、怠惰に毎日毎日舞台を見ていてはいけない、たくさん見ていることで演劇をわかったような態度に知らないうちになってはいけない、というようなことを話されていた(無論、たくさん観劇している同業者や観客の批判ではなかった)。
当時、私は演劇や舞踊やオペラなどなんでも観るのが好きでのめりこみ、諸事情の許す限り観られる範囲の舞台を観ようと努力していた(現在も洋舞に限るが興味関心にこだわらずできるだけ多くの舞台を観るように心がけている)。どこの会場にいってもみかける演劇評論家や舞踊評論家も少なくない。そのため土井さんの言葉を聞いて、職業的に舞台をみる人は観られるものは極力観るのが普通なのでは、と少々意外に思ったのも事実だった。しかし、今となっては土井さんの言葉にも一理あると感じる。
プロの評論家やジャーナリストでなくても演劇、舞踊のファンは観劇体験が増えてくると、あれこれ比べたりするのが楽しくなるし、過去に「いいものを観た」という自負も生まれるようになる。そうすると舞台への共感、アーティストへの尊敬よりも“上から目線”で観てしまうことにつながる恐れがある。一つひとつの舞台をしっかりと受け止めて鑑賞する――浮き世離れした観劇生活ではなく日常生活のなかに観劇を根付かせていくことも大切だろう。アートマネージメント方面でも活躍された土井さんの言葉だけに説得力がある。ことに評論家やジャーナリストは特権意識を振りかざすのではなく日常感覚を忘れてはならない。舞台芸術がより広く多くの人のこころを豊かにし、健全で平和な社会を築く一助となるものと信じ、その普及・発展に務めているのであれば。
あらためて土井さんのご冥福をお祈りしたい。