今年の数多あった『ジゼル』全幕上演を振り返って

今年は例年に増して『ジゼル』『眠れる森の美女』の上演が相次ぎました。これについて、舞踊評論家の大御所であり全国を股にかけ公演を観ておられるうらわまこと氏は、指摘しています。“階級差による悲劇と、対象的な豪華絢爛な祝宴、なにか時代を現しているような気もするが偶然であろうか”(「オン・ステージ新聞」10/23号・貞松・浜田バレエ団『ジゼル』公演批評より)。『ジゼル』は現在上演されている古典バレエのなかでもっとも古い部類。シンプルにして奥の深いドラマであり、優れた主演者の演技と緻密な演出が相俟った舞台に接すると、心揺さぶられずにいられません。以下、今年の『眠れる森の美女』上演については少し前にまとめましたので今年観た『ジゼル』上演について振り返っておきましょう(国内団体および日本人が主演したもの)。
今年最初に観た『ジゼル』全幕はレニングラード国立バレエ(1月7日 bunkamuraオーチャードホール)。草刈民代とイーゴリ・コルプ主演です。草刈がダンサー生活最後に踊る古典全幕に選んだのが『ジゼル』。名ダンサー/名教師として知られるアーラ・オシペンコが草刈の磨かれた感性と舞台上で発するオーラについて絶賛していたインタビュー記事がありましたが、その稀代のドラマティックな資質を感じさせる演技を眼にひたすら焼きつけることのできた、忘れられぬ公演になりました。トウシューズの音をさせまいとする細心の注意を払ったプロ意識の高さにもさすがと感銘を受けました。
5月から7月にかけて首都圏の団体が相次いで取り上げます。その最初が熊川哲也Kバレエカンパニー(5月12日 Bunkamuraオーチャードホール)。熊川が英国ロイヤル・バレエ時代の同僚ヴィヴィアナ・デュランテと久々に踊ることが話題でしたが、ツアー初日にデュランテが負傷のため降板し、代わりを東野泰子が務め健闘しました。熊川の復活ぶりも鮮やかでファンを安心させたことでしょう。思えば、熊川がKバレエ最初の全幕バレエ作品として手がけたのが『ジゼル』。再演数もおそらく一番多いのではないでしょうか。熊川にとっても一際思い入れのあるレパートリーのひとつなのかもしれません。
近年、世界的スターを招いて度々『ジゼル』を上演しているのが東京バレエ団(6月11日 ゆうぽうとホール)。アンサンブルのこなれた演技や抜群に揃った群舞の見事さでは他の追随を許さぬものがあります。今回は、昨年、衝撃的な“ジゼル・デビュー”(私が公演チラシに推薦文を寄せた)を果たした上野水香と若手ノーブル・ダンサーの注目株フリーデマン・フォーゲルの共演日を観ました。上野の武器は強靭なテクニック。1幕ヴァリエーションでは揺ぎなく爽やかに踊り、2幕では適度に抑制を加えウィリの浮遊感を巧みに表現していました。フォーゲルもポスト・マラーホフとして成長した感。
八王子を拠点に東京都内や山梨県清里において公演を続けるバレエシャンブルウエス(6月14日 八王子市芸術文化会館)も『ジゼル』上演を得意とします。芸術監督の今村博明と川口ゆり子が練り上げた緻密な演出と、ヴァチェスラフ・オークネフによる落ち着きのある舞台装置が大きな特長。今回は大ベテランの川口と、今村・川口の教え子でサンフランシスコバレエ団にて活躍する山本帆介が主演しました。ステップと演技の完全なる一致、優れた音楽解釈においてやはり川口は傑出。初のアルブレヒト役となった山本も師と組んでの大役でしたが真情のこもった演技が好印象を残しました。
大手の牧阿佐美バレヱ団(7月11日夜 新国立劇場中劇場)が久々に上演したことも大きな話題になりました。実に11年ぶり、本公演での上演にさかのぼると、なんと16年ぶりになるとか。今回は総監督の三谷恭三が新に演出・振付を手がけました。正統的な演出を受け継ぎつつ、ヒラリオンに二人の友人を付けて孤立感から救い出し人間味を持たせたり、1幕の群舞にステップを増やして団の誇る高レベルのダンサーのきびきびした踊りを堪能させたりと、随所にアイデアを織り交ぜて独自のものにまとめる手腕が光ります。タイトル・ロールの伊藤友季子の高い音楽性と詩的な表現力、こなれたマイムの演技が素晴らしく鳥肌が立ちました。アルブレヒトの逸見智彦も好演。
8月には発表会(有料)ながら実質公演といってもいい水準の高い舞台がありました。岸辺バレエスタジオ発表会(8月30日 メルパルクホール)です。主演はキミホ・ハルバートと齋藤拓。特筆はキミホの演技です。第一幕では、アルブレヒトとの交感などでみせる表情やさりげない仕草に神経が行き届いてナチュラル。第二幕では、アルブレヒトをウィリーたちから護る毅然とした姿勢が様になっており堂々たる存在感を示しました。齋藤も脂が乗っているダンスール・ノーブルだけに充実をみせていました。
夏から秋にかけて関西では『ジゼル』の上演が続きましたが、神戸の貞松・浜田バレエ団(9月27日 尼崎アルカイックホール)公演を観ることができました。話題は夫君アンドリュー・エルフィンストンと共演した瀬島五月のジゼルです。瀬島は、突出してプロポーションがいいとかテクニシャンというわけではないのですが、踊り・演技のトータルな完成度が高い。華とオーラも充分です。産後復帰初となる全幕主演でしたが、以前よりも身体が軽やかになった印象すら受けました。一幕のヴァリエーションなどは持ち前の踊り心が存分に感じられて秀逸です。一幕、二幕とも物語・振付・音楽をしっかり解釈したうえで踊っていることがよく伝わってきました。ナハリン、キリアン、バランシンからチャイコフスキー三大バレエ、そしてロマンティク・バレエにいたるまで踊りこなし、観るたびにあらたな相貌を魅せてくれる瀬島は、要注目の存在といえるでしょう。
10月には老舗の谷桃子バレエ団(10月11日昼 新国立劇場中劇場)が上演。創設者で生ける伝説たる谷桃子がもっとも得意とし、最大の当たり役といわれたのが『ジゼル』のタイトル・ロールだというのは衆知のとおり。創立60周年記念公演シリーズのなかでも特に注目されるもののひとつです。観た回の主演は緒方麻衣&三木雄馬。一幕では両者の演技が初々しく、そのため、狂乱の場での緒方の演技がドラマティックに感じられました。近頃コンビを組むふたりの躍進に期待したいところです。
今年は“ジゼル・イヤー”ともいえる一年でしたが、その波は来年にも続きます。3月までに、パリ・オペラ座バレエ、グルジア国立バレエの来演、スターダンサーズ・バレエ団、日本バレエ協会公演と続々と。多くのキャストでの見比べとともに演出の違いにも注目して『ジゼル』というバレエの奥の深さを味わい尽くしたいところです。