観客との真の奥深いコミュニケーション

興味深い記事を読みました。
「日本以外ありえない 「一気に全曲」演奏、なぜ挑む」
http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY200912050209.html
音楽界の年末の風物詩である「第九」メサイア」といった演奏会のラインアップのなかに、近年、ベートーベンの交響曲一挙上演をはじめとした「一気に全曲を演奏する」という企画が増えているとか。半日がかりの大プロジェクトであり、演奏家にも聴衆にも相当のスタミナを要するもの。それなのになぜ盛況なのかを探っています。
聴衆には“芸術家が表現のなかに自らを追い込んでいく。その現場をこそ見守りたい――“という渇望があると記事はまず指摘。それを最初に蘇らせ刺激したのが2004年にベートーベン交響曲全曲演奏に挑んだ故・岩城宏之だったそうです。記事によると、日本人には“作曲家を「イコン(聖像)」としてリスペクトする気持ちを、引きずっている”という面があり、また“演奏家たちが自らの音楽人生に意味を見いだすきっかけを探している“そうです。大曲に挑むアーティストを熱狂的に応援し“格闘技に挑む選手たちを眺めるのと同様の熱狂を、聴衆がアーティストに求め始めた”(ピアニストの中村紘子)ことも大きいようです。観客がいてはじめて上演芸術は成立するというのは当たり前のことですが、一期一会の稀有な体験、ライブの魅力を改めて感じさせてくれます。
そして、もっとも印象に残ったのが記事末尾。今月7日にバッハ「無伴奏チェロ組曲」全6曲を演奏するチェリストの木越洋さんの言葉です。

「聴衆も覚悟を決めてきてくれるから、コミュニケーションが充実する。間口を広げようと軽い演奏会を増やしている業界の思惑以上に、一般の聴衆はより奥深いクラシックの世界を我々に求めているんだ、と弾くたびに感じずにいられません」

深い覚悟を持って自身の芸術を突き詰めることが観客との深いコミュニケーションを生むのは真実でしょう。無論、がむしゃらに頑張って演じたり、演奏したり、踊ったりすれば、想いは届き、観客は感動すると取り違えるのとは違います。観客との馴れ合いであってもいけない。売らんかなのイージーな販売戦略やメディアの押し出した報道といったものにも警鐘を鳴らす言葉でしょう。賛否あるにせよ示唆に富む記事なのでは。