「ローザンヌ・ガラ2010」にみる現代バレエの現在形と未来のゆくえ

1989年に行われた「ローザンヌ国際バレエコンクール東京開催」を記念して、その会場となった青山劇場を舞台に繰り広げられるガラ・コンサート「ローザンヌ・ガラ」が3回目を迎えた(8月7日所見)。同コンクール東京開催の際に名誉総裁を務められ、バレエのみならず舞台芸術全般に造詣深くいらっしゃった故・高円宮憲仁親王殿下のメモリアルでもある。今回は、1989年のローザンヌ・東京開催の際にゴールドメダルと高円宮賞を獲得した熊川哲也が芸術監督を務めるというのが大きな話題。前回、前々回同様、プロ・ダンサーへの登竜門であるローザンヌ国際バレエコンクールの受賞者で内外において広く活躍する日本人ダンサーを中心とした出演者が好演をみせた。
2004年の初回には同年の受賞者・贄田萌の、金色の粉を塗したようなオーラ抜群な踊りにノックアウトされ、2007年の前回は2005年、2006年に神戸で観劇・感激!!して「ダンスマガジン」に評を寄せる機会も頂くなどマイ・ブームだった貞松・浜田バレエ団によるオハッド・ナハリン振付『DANCE』に3たび興奮させられた。今回も1988年のプロフェショナル賞受賞の中村恩恵から本年度スカラシップ賞を得た佐々木万璃子まで、それぞれに魅力的だったが、総評や各演技に対する印象・評価は各紙誌等に載る評論・レビューまたは感想に譲って、ここではひとつ強く感じた点に絞って触れておこう。
それは現代作品について。昨夏の「世界バレエフェスティバル」もそうだが、今年に入ってからの各種ガラ公演――「マニュエル・ルグリの新しき世界」Bプロ、「マラーホフの贈り物」、「エトワール・ガラ」でも、現代作品あるいは非古典作品の比率が圧倒的に高まっている。一昔前なら考えられない。なにも古典のパ・ド・ドゥ集が駄目というわけではないが、コンテンポラリー作品の受容が深まって来ているのは疑いないだろう。
今回の「ローザンヌ・ガラ」でもそれは顕著で、オープニング(振付:キミホ・ハルバート)と今年度受賞者の佐々木の披露した2つのヴァリエーションをのぞく9曲のうち4曲が現代作品といえる(アシュトンの『タイス』は微妙だがここではクラシック寄りと捉える)。上演順に記してみる。横関雄一郎&金田あゆ子の踊った『譜と風景』(振付:アレッシオ・シルベストリン)、齊藤亜紀&ウィム・ヴァンレッセンの踊った『イン・ザ・ミドル・ サムホワット・エレヴェイテッド』(振付:ウィリアム・フォーサイス)、SHOKO(中村祥子)&ヴィエスラフ・デュデックの踊った『アダージェット〜アレス・ワルツより』(振付:レナート・ツァネラ)、中村恩恵首藤康之の踊った『The Well-Tempered』(振付:中村恩恵)。
注目すべきは、現代作品といっても、バランシンやプティやベジャール、それにクランコやマクミランら20世紀の巨匠のものでなく、いまの時代の息吹を感じさせるものが並んだこと。そういうと、フォーサイスの『イン・ザ・ミドル』は少々古いではないかと突っ込みが入るだろう。確かに『イン・ザ・ミドル』は1987年、パリ・オペラ座の精鋭たちによって初演されたのち、ガラ・コンサートで上演される定番。古典といってもいい。オフ・バランスを多用したエッジーなハイパー・バレエは一時代を画したものとはいえ、トム・ウィレムスの耳をつんざくような大音量の電子音楽や衣装等も今となっては古めかしいのも事実だ。しかし、あらゆる位相でバレエというシステムを脱構築し、従来の価値観を反転させたフォーサイスこそ現代バレエの新たな次元を切り開いた存在といえる。その典型例としてガラで踊られる抜粋部分は残るだろうし、そうなってしかるべしである。
今回の現代作品はフォーサイス以後で見ていけるのが興味深い。
『譜と風景』を振付けたアレッシオ・シルベストリンはフォーサイスのもとで踊っていた人。その創作にフォーサイスの影響が少なくないのは間違いないが、空間と身体との在り様を独自の動きと意匠を駆使して問いかけている。Noismに委嘱された『DOOR INDOOR』やセルリアンタワー能楽堂で発表した『かけことば』等の佳作がある。今回の作品も現代音楽の細川俊夫の曲を使った緊密感あるデュオ。フォーサイスは近年、カンパニーの規模が縮小したこともあってか現代バレエの前線からは距離を置き、暗黒舞踏を思わせるような異色作を発表する等独自路線を歩む。そんななかシルべストリンはフォーサイス以後の展開を担って先端を模索する貴重な存在といえよう。
フォーサイスよりも世代は上ながら大御所として現役で活躍するのがイリ・キリアン。そのキリアンに師事したのが『The Well-Tempered』を振付けた中村である。キリアンの初期作はバレエのパを絶妙にずらして連ねたり、バレエとモダンダンスの融合させたような作風であったが、フォーサイスの活躍以降はそれに呼応するかのように硬質で研ぎ澄まされた作風もみせるように。近年は、もはやバレエとは思えぬ独特な作舞も見せている(『トス・オブ・ア・ダイス』など)。中村の創作の多くはキリアンの影響が極めて強く、そこを脱していない印象が拭えなかったが、首藤や廣田あつ子らと組んで踊るようになって独自のものが出てきた。キリアン以後を見据えた展開が期待される。
ツァネラは1961年生まれのイタリア人振付家。1980年代にシュツットガルト・バレエ団に在籍し、キリアンやハンス・ファン・マーネン、マッツ・エック、フォーサイスらの作品を踊った経歴を持つ(発売中の「ダンスマガジン」9月号の三浦雅士&ツァネラの対談に詳しい)。全幕バレエも振付けているがマラーホフの十八番である『ヴォワイヤージュ』や今回踊られた『アレス・ワルツ』など日本で紹介されている作品を見る限り、みるからに先鋭的といえる派手さはないが、内面から染み出る心の機微のようなものを微細なニュアンス含む振付で紡ぐ。ジャン=クリストフ・マイヨーやナチョ・ドゥアトらに続いて欧州のバレエ界でますます存在感を増している振付家のひとりといえるだろう。
練りに練ってなのか、あるいは期せずしてなのかは知るよしもないが、フォーサイスを核にして、20世紀から21世紀の現代バレエの軌跡と新展開を実感させるラインアップとなっていたのは何とも心憎い。その動きは、ローザンヌのコンクールの動向とも通じている。ローザンヌのコンクールにおいて、コンテンポラリーのヴァリエーションも審査されるのはよく知られる。ことに近年は、巨匠や気鋭振付家の創作が課題としてあたえられるようになった。ジュニアであっても古典とは違った体遣いや表現力が求められている。様々な振付に対応できる柔軟性が問われる。ダンサーの身体能力という点では年々さらに向上していくだろう。それが新たな創作を促すことを楽しみにしたい。
また、今回のラインアップは、1987年以来「青山バレエフェスティバル」を開催し、2000年代以降は「ダンストリエンナーレ」を開催するなど若い感性や先鋭的な作品を紹介してきた青山劇場・青山円形劇場の歩んできた路線の延長として捉えても納得がいく。今後も国際的な視野に立った先鋭的かつ地に足ついた企画を望みたい。そして最後になるが、今回がおそらくクレジットに入る最後の仕事になったフェスティバルディレクター/演出家の高谷静治、日本におけるローザンヌ・コンクールの窓口となった山田博子という故人たちの労を高円宮殿下の功績ともども忘れてはならない。(敬称略)
sylvie guillem - in the Middle Somewhat Elevated

Voyage: Vladimir Malakhov