才能を開花させるのは、努力と一生懸命さ

「東京新聞ほっとweb」に連載されている、「桂枝太郎の東京マドンナを訪ねて」
これは、落語家の桂枝太郎が、東京の様々な分野で輝くマドンナたちにインタビューし、現在進行形の東京の今を伝える事に挑戦するという企画だとか。
最新版(6/24更新)では、東京小牧バレエ団の藤瀬梨菜が取り上げられている。
桂枝太郎の東京マドンナを訪ねて Vol.4 バレリーナ藤瀬梨菜さん
http://hotweb.tokyo-np.co.jp/content/madonna/201106.html
藤瀬は、来る7月30日に行われる、東京小牧バレエ団「小牧正英生誕100年記念公演1」で、『ペトルウシュカ』の主役・バレリーナ役に抜擢された新進バレリーナ
バレエをはじめたきっかけ、大役に挑む決意や自らの個性について語っている。
藤瀬は、やや小柄だが華奢な身体の持ち主。小牧バレエのなかではテクニックにも秀でている。近年は、『シェヘラザード』のタイトル・ロール(小牧版では、冒頭と最後に、老人が娘シェヘラザードに物語を聞かせるという趣向がある)、『薔薇の精』の少女役など比較的いい役も付いてはいるが、小さな役や群舞のなかでも誠実に踊りつつキラりと光るものをみせてくれていた。入団9年目にして今回大役を得たが、バレリーナ役のイメージにぴったりで、配役を知って得心させられるものがあった。タイトル・ロールを演じる佐々木大ともども命のないパペット役をどう演じるか楽しみなところ(耳にした話では、1日公演ということもあり早々にチケットがほぼまったく無くなってしまったとか…)。
記事で印象深いのは、小牧バレエの団長が語る、藤瀬を抜擢した理由についてだ。

「どんな役でも、与えられた役を精一杯こなしていた。いい役ではないと“なんで私がこんな役を”とふてくされるダンサーもいる中で、藤瀬は本当にどんな小さな脇役でも一生懸命こなしていた」

主役や目立つソリストの役は限られる。そして、いうまでもないがバレエは主役だけでは成り立たない。皆がいい役についたり、納得のいく位階を得られるわけではない。したがって、目立たない役や不本意な役に配役されると、やる気がでなかったりするのもかもしれない。展望が見いだせなければ団を去るケースもあるのかもしれない。
実際、客席でみていても、目立たない役になると「手を抜いているな」と感じさせる踊り手はいる。ソリストやそれに準じるクラスの踊り手で、ソロのときや目立つ位置のときだけは上手く踊っても、脇や群舞に回ると手を抜いているように思えるひとも。無論、プロの舞台では、ごく稀であるのはいうまでもない。まあ、そういうひとは、まず間違いなく、それ以上の躍進は望めまい。バレエに限らず、目の前のことがこなせないで、何ができる?多くの才能ある踊り手が桧舞台に立つことなく消え去っていく。自滅であろう。
そういえば、ロシアのボリショイ・バレエの名ソリストとして鳴らす岩田守弘も、かつてはいい役がつかず、日本でも上演された『ファラオの娘』では、猿役という、小さな役しか付かなかった。しかし、それにめげず腐らず一生懸命役作りに取り組んだという。その甲斐あって、登場時間がわずかしかないなかで、飄逸な味わいのある踊りをみせた。批評家や観客の絶大な支持を集め注目されたというエピソードはよく知られよう。
バレエを極めるには、身体条件をはじめ生まれ持った資質が最重要だ。非情だが事実。ただ、その才能を開花させるかどうかは、環境の良し悪しとともに本人の意欲次第ということになるのだろう。最初から花咲ける道を歩める人は一握りに過ぎない。群舞や小さな役を地道に務めながら、そのなかで才能を開花させ、観客の支持も得て、プリンシパルにまでのぼりつめる人もすくなくない。プロなのだから、舞台上で「努力」や「一生懸命」が見えては困るが、陰でものすごい努力をしているであろう人がチャンスをつかみ活躍するのをみるのは、バレエ・ファンの醍醐味。うれしくなってしまう。
いっぽう、人気者・スターを早急に求めるあまり、若手ダンサーを過大な宣伝によって売り出そうという安易な発想が出てもおかしくない。天賦の才を持ち、誰しもが主役を踊るべきと認めるようなひとならばタイミングを見計らって売り出すのは望ましい。が、そうでなく、実績も不十分で、観客の信任も得ていないのにゴリ押しするならば…。バレエ・ファンはもとより一般のお客さんを甘く見てはいけない。却って反感を買うだけなのでは?それに、多少才能ある踊り手の場合ならば、個性をしっかり見極めて育つ機会を奪い大成を妨げる。下駄履かせるのは推される人にとっても不幸であろう。



ボリショイ・バレエ―その伝統と日本人ソリスト岩田守弘 (ユーラシア・ブックレット)

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