黛敏郎 没後15年

来年2012年は作曲家・黛敏郎(1929〜1997年)の没後15年にあたる。それを記念してのイベントが続いており、先日はオペラ『古事記』(1996年)が日本初演された。
黛は生涯を通し幅広いジャンルの曲を書いた。 管弦楽吹奏楽室内楽・器楽・声楽・オペラ等に加え映画音楽や電子音楽も手掛けた。ミュージック・コンクレートはじめ電子音楽をいち早く日本に紹介するなど先鋭的な活動を続けた。映画「天地創造」(1966年)では米アカデミー賞にノミネートされる。我が国を代表する現代音楽の巨匠のひとり。
バレエやダンスの音楽に関わってもいる。
バレエ音楽としては、まず「BUGAKU(舞楽)」(1962年)が有名だろう。ニューヨーク・シティ・バレエジョージ・バランシンから委嘱されたもので、雅楽の舞をモチーフにしている。後年、モーリス・ベジャール東京バレエ団に振付けたことでも知られよう(1989年)。日本でも牧阿佐美が取り上げている(1968年)。
東京バレエ団とのコラボレーションは長きにわたった。まず、1969年の創立5周年記念公演でミシェル・ディスコンベが「曼荼羅交響曲」(1962年)を用いて『曼荼羅』を上演。そして、1986年にはベジャールが「忠臣蔵」を題材として振付けた『ザ・カブキ』の音楽を書き下ろす。結果的にクライマックスとなる場面には代表作で声明のような男性コーラスが印象的な「涅槃交響曲」(1958年)が使われることになったがバレエ曲の代表作とした。さらにベジャールの『M』(1993年)にも書き下ろしで楽曲提供している。
他にも様々な形で日本の舞踊界に関わってきた。1953年には近藤玲子バレエ団公演にて原作:加藤道夫による『思い出を売る男』を作曲。牧阿佐美バレヱ団は牧阿佐美と三谷恭三の振付によって『曼荼羅交響曲』を発表し、1990年のソビエト公演で上演した。創作バレエへの意欲を燃やし続けているスターダンサーズ・バレエ団の千葉昭則振付『バレエ・アルバム2』(1974年)の作曲も黛である。また、詩人・瀧口修造の下に集った芸術家たちが結成した実験工房によるバレエ実験劇場第1回公演(1955年)において『未来のイヴ』の作曲を手掛けた(武満徹と共作)。1959年に始まった650 DANCE EXPERIENCE の会では暗黒舞踏創始者土方巽らとの協同作業も行っている。今秋亡くなったモダンダンスの巨星アキコ・カンダのリサイタルにも曲を提供した。
今月末に東京バレエ団が『ザ・カブキ』を再演する。初演から25周年となることを祝して、また、来年5月のパリ・オペラ座公演に先駆けてのキックオフ的な意味合いもあるようだが、黛の没後15年追悼ともなった。さらに来年3月には東京フィルハーモニー交響楽団が「和の美学―燃焼するMayuzumi Sound」と題して「BUGAKU」「涅槃交響曲」含む四曲を取り上げるようだ。黛の音楽をあらためて振り返る契機になろう。




黛敏郎の電子音楽

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