石田種生さんが死去

舞踊家振付家の石田種生さんが、4月30日、肺がんのため亡くなられた。83歳。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日お別れ会を開くという。
舞踊家振付家の石田種生さん死去
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120430-OYT1T00483.htm
創作バレエ 石田種生氏が死去
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120430/k10014817971000.html
石田さんは島根県出身。慶応義塾大学に学び、同大学のバレエ研究会に属しバレエを始めた。松山バレエ団に入団、松山樹子のパートナーとして活躍し、『白毛女』『祇園祭』などの創作作品や『バフチサライの泉』などに出演した。早くから創作者としても活躍し、NHKテレビのディレクターであった藤井修治(現・舞踊評論家)の依頼に応じて日本の風土を扱った戦国三部作『枯野』『砂の城』『影武者』発表している。
1968年、東京シティ・バレエ団設立に参加し、原爆をテーマにした『ヒロシマのレクイエム−うしろの・しょうめん・だあれ』や『女面』『お夏・清十郎』などを発表。全幕バレエとしては『エスメラルダ』『白鳥の湖』などがあり、前者ではアメリカや韓国のバレエ団にも招かれ振付を行った。1980年代にはバイク事故により瀕死の重体に陥り、度重なる手術とリハビリを経て復活する。旭日小綬章紫綬褒章を受章。東京新聞の舞踊芸術賞や橘秋子賞特別賞といった舞踊界の権威ある賞も受けている。
個人的には晩年わずかではあるが謦咳に接することができた。石田版『白鳥の湖』に関する拙評を認めていただいていたらしいこと、批評活動をはじめる以前に「石田種生の世界」と題されたリサイタルを観ていたことなどを知っていただいたこともあってか、会場等で色々ご教示いただくことも多く、賀状や御著書もお送りいただいていた。不舎という俳号で俳人としても活躍、毎年の賀状に記される句が楽しみであった。
欧州を回った経験もあるが、名匠ブルメイステルが健在の頃のモスクワに滞在したことが石田さんの創作に大きな影響を及ぼしたようだ。ブルメイステルの『白鳥の湖』における「英雄は死なない」いう姿勢に共鳴し、自らの版でもハッピーエンドを採用したというエピソードや、同じブルメイステルでも『エスメラルダ』は「駄作」と言いきり、自版では反面教師としたことなどお話しいただいた。先輩の舞踊批評家と、批評家/研究者と名乗る人物と一緒に長時間お話をうかがったこともある。最後にお会いしたのは今年の3月31日、東京シティ・バレエ団公演『ロミオとジュリエット』の公演会場。一昨年7月に体調を崩されお姿をお見かけしなくなったが久々にお見かけした。酷く痩せられ車いすに乗っておられたが、ご挨拶すると、しっかりと頷きかえしていただいた。
「創る」ということに誰よりも真摯に身を削って立ち向かわれてきた方に思う。創作バレエの巨匠堕つ、の感が強い。寂しい。東京シティ・バレエ団は設立以来古典とともに創作に力を入れ独自の路線を歩んできた。後進の中島伸欣や小林洋壱といった振付者には石田の遺志を継いで、日本の創作バレエの灯を絶やさぬよう今以上に一層の研鑽に励んでほしい。それこそが、石田さんへの何よりの手向けとなろう。そして、それを厳しくも温かく見守ることが、私の評論家としての責務だと任じ活動していきたい。
石田さんのご冥福を心より願っている。


随想 バレエに食われる日本人

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